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K.K. ダウニング(ex-ジューダス・プリースト)『THE メタル・ギター』特集 本誌未掲載インタビュー

インタビュー●斎藤新吉 Shinkichi Saito Pics... Main: Jari Asell / Group Shot: courtesy of K.K.Downing's Steel Mill / Live: Bill O'Leary

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ヤング・ギター3月号の大特集『THEメタル・ギター』では、3人のギタリストが“メタル・ギター”とは何ぞやというこだわりを語っている。その中の1人が元ジューダス・プリーストのK.K.ダウニング。ヘヴィ・メタルのファッションを定義づけた偉大な先人だけに、今回の特集にはぴったりの人選だ。ここでは誌面に未掲載のコメントをお届けしよう。先頃アニヴァーサリー・エディションがリリースされた’86年の問題作『TURBO』や、プリーストの音楽的発展について、実に含蓄のある言葉で語ってくれた。

常に時代を読み、新しい地平を見据えていた

YG:’86年の『TURBO』はリリースから30周年を記念して、アニヴァーサリー・エディションが発表されることになりましたね。
K.K.ダウニング(以下KD):あのアルバムを作る時は、アルバム2枚分ぐらいの楽曲が揃っていたんだよ。その中から、従来の作品のスタイルからスムーズに移行したものでありつつ、当時のシーンの状況に合った曲を選び出して1枚にまとめたんだ。

YG:以前あなたは「自分たちのどんな曲がラジオでかかりやすいかを研究していた。その結果が反映されたから、今までよりもポップな作品になったのではないか」と分析していましたよね?
KD:’80年代の半ばというのはロックやメタルにとってユニークな時代であり、良い雰囲気が漂っていた。素晴らしいバンドが次から次へと現れ、人々の間にはポジティヴで楽観的なムードが流れていた。俺も「この世界はこれからもっと幸せになるぞ」と言いたくなるぐらいだったね。それが、あの頃にできた音楽にも反映されていた。今でもいつかまた戻りたいと思うような、そんな時代だったよ。

YG:『TURBO』ではギター・シンセサイザーも導入されていましたよね。シンセサイザーを使ったパートはグレンとどのように分担したのでしょうか?
KD:憶えている限りでは、ほとんどグレンが担当していたよ。

YG:『TURBO』には「Locked In」のようにシャープなリフが強力な楽曲も多数収録されていますよね。プリーストは元々リフが強力なバンドであり、そこは『TURBO』でも重視していたことなのでしょうか?
KD:ああ、俺は常に良いリフを考えていたし、『TURBO』も例外ではない。リフというものは、12小節のコード進行というブルースの型から逸脱するきっかけになった要因だ。ロックはリフを重視することで、本格的に発展していったんだよ。’67年頃のことだ。だから俺たちには常にリフが必要だった。

YG:『TURBO』のプロデューサーは『BRITISH STEEL』(’80年)から前作『DEFENDERS OF THE FAITH』までと同じくトム・アロムでした。『DEFENDERS〜』がブリティッシュなサウンドだったのに対し、『TURBO』にはよりアメリカンな雰囲気がありますが、同じプロデューサーでもかなり質感が変わったというのは面白いですね?
KD:プロデューサーが多様性を持つことは必須条件だと思う。色々なバンドと一緒に上手くやっていけるだけでなく、同じバンドの作品を手がける場合でも、その時々に応じてサウンドやテクニック的な変化を付けたいという要望に応えなければいけないからね。つまるところ、1枚のアルバムが持つフィーリングやムードを決めるのは1曲1曲の集まりを全体として聴いた時の印象だ。腕の良いプロデューサーはそれを踏まえて卓に向かい、出来る限り最善を尽くしてくれるだろう。

YG:『TURBO』の時期にはメンバーの衣装やステージ・セットもよりゴージャスになっていきましたが、アメリカのロック・シーンに切り込んで行ったことも影響していたのでしょうか? 当時はL.A.のメタル・バンドを中心に、派手なペイント・ギターが流行っていましたよね。
KD:’80年代半ばは極端なまでにカラフルでエネルギーにあふれた時代だったからね。意識的であれ無意識であれ、俺たちはあの時期を楽しんでいたよ。プリーストは他のバンドと違って常に時代を読み、寛大な精神でメタルがどこまで伸びて行けるか、新しい地平を見据えていたんだ。それに俺たちはフォロワーではなく時代のリーダーであるべきだと考えていたから、それまでとファッションが変わるようなことを恐れたことはなかった。結果的に俺たちのやっていたことは多くの人々に気に入ってもらえていたようだし、革新的なことをやれることで評価されていたんだよ。

YG:次の『RAM IT DOWN』(’88年)ではアグレッシヴなスタイルに戻り、さらに『PAINKILLER』(’90年)ではより過激なサウンドを完成させたわけですが、「’80年代に起こったスラッシュ・メタルのムーヴメントからの影響が出ている」と分析されることが多くあります。実際にそういった影響があったのでしょうか?
KD:実はそうじゃなかった。当時の俺たちはまだトゥルー・メタルやクラシック・メタルと言えるものに専念していたし、プリーストが独自性の強いサウンドを目指していたことに変わりはなかった。それらのアルバムがスレイヤーやメタリカ、テスタメント、メガデスみたいなバンドに似ているとは思っていないよ。むしろプリーストには昔からアグレッシヴな曲が多かった。『DEFENDERS〜』の「Eat Me Alive」や「Freewheel Burning」、『SCREAMING FOR VENGEANCE』(’82年)のタイトル・トラック、『BRITISH STEEL』(’80年)の「Rapid Fire」もあるし、’70年代には『SIN AFTER SIN』(’77年)の「Dissident Aggressor」と「Sinner」、『STAINED CLASS』の「Exciter」(’78年)といったものがそうだ。多分そういった時代の流れの中で『TURBO』が登場したから、その後の『RAM IT DOWN』はより攻撃的に聴こえたんじゃないかな。

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YG:ティム・リッパー・オーウェンズをヴォーカルに迎えた’90年代末期のプリーストは『JUGULATOR』(’97年)をリリースし、モダンなギター・サウンドでファンを驚かせました。それも時代に合わせたアグレッシヴさを求めた結果だったんですね。
KD:そうだね。ロブ(ハルフォード)がバンドを去ったということもあって、ロブがいないけどプリーストであるという、俺にとって特殊な作品だった。そのおかげで、うんと若いヴォーカリストを迎えることで、またしてもメタルにおける多様性の1つを示す権利を得たんだよ。

YG:’90年代にはダウン・チューニングすることによる極端にヘヴィなサウンドも流行りましたが、その手のプレイであなたの参考になるようなバンドはいましたか?
KD:いや。しかし、俺の長年にわたる経験や作曲のスキルを、ダウン・チューニングの導入やモダン・メタルのテクニックを使うことと合体させたらどんなサウンドが生まれるか…という好奇心はあったね。その結果はご覧の通り、(『JUGULATOR』で)みんなに確かめてもらえるようになっているよ。そしてロブの復帰した『ANGEL OF RETRIBUTION』(’05年)で、また俺たちはトラディショナルなメタルのスタイルに戻った。

YG:ちなみに、’70年代のプリースト初期に使っていたフェンダー・ストラトキャスターなどには何らかの改造を施していたのでしょうか?
KD:最初のストラトには左利き用のネックを取り付けていたんだ。よくギターを投げることの多かった俺は、ある日放り投げた後にキャッチし損ねて、ヘッドを2つに割ってしまった。そこで、JAMESON RAID(註:NWOBHMの時代にシングルを発表したメタル・バンド)で弾いていた左利きギタリストのイアン・スミスに、予備のネックを持っていないか声をかけたんだよ。翌日にギグを控えていたんでね。親切にも彼は自分のギターからネックを外してくれた。その代わり、彼には俺の割れたネックを預かってもらった。そんなことがあったね。

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YG:最近の若いギタリストで、「これはメタルだ!」と感銘を受けた人はいますか?
KD:いや、まだいないよ。だけど、もっと早くに知っていれば良かったと思うような腕のいいギタリストを見つけたことはある。メタルに限らず、もし君がギタリストかギター・ファンなら、ガスリー・ゴーヴァン、モンテ・モンゴメリーなどは聴いておくべきだね。あと、アルゼンチンの若いストリート・ギタリストでダミアン・サラザールという人物がいる。昨年のクリスマスに彼が弾いたクイーンの「The Show Must Go On」は素晴らしいよ。アイアン・メイデンからマイケル・ジャクソンまで、どんなスタイルもこなせる。それから、モンテ・モンゴメリーがジミ・ヘンドリックスの「Little Wing」をプレイするのも見事だ。YouTubeで彼らの技術の高さを確認してくれ。

YG:最後に、あなたの近況を教えてください。’15年初頭にヤング・ギターでインタビューさせてもらった時は、メタラー向けのフレグランスを発売した頃でしたよね?
KD:あれからずっと忙しくしているよ。音楽関連ではインタビューを受けたり、新しいアンプなどの機材を試したり、他のミュージシャンの手助けをしたり。それに、とても長いキャリアを通じて出会ったたくさんのファンや友人たちと連絡を取るようにしているんだ。プリーストでツアーに出ていた素晴らしい日々のことをよく思い出しているよ。またいつかみんなに会えるといいね。その日まで元気で!

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