マルコ・ポーロ没後700年、『東方見聞録』挿絵をインレイで再現したギター“Il Milione”が登場

マルコ・ポーロ没後700年、『東方見聞録』挿絵をインレイで再現したギター“Il Milione”が登場

イタリアのギター・ブランド:パオレッティは、かつてワイン樽に使われていた木材を用いてデザイン性とプレイアビリティを両立させた極上のギターで知られているが、近年は地元トスカーナ、そしてヴェネツィアといったイタリアの伝統や資源を最大限に活用した芸術的なスペシャル・モデルの製作にも大きな力を入れている。このたび新たに登場した“Il Milione”は、2024年にイタリアの冒険家マルコ・ポーロ(1254年〜1324年)が没後700年を迎えることを記念して、書物『東方見聞録』の挿絵をマザー・オブ・パールで再現した、世界でわずか限定10本の生産となる特別モデルだ。

2,800個のパーツからなるマザー・オブ・パールのインレイ・アート

何はともあれ、まずはこのギターを拡大してじっくりと眺めてみてほしい。前面がすべてマザー・オブ・パールによるインレイの絵柄に覆われているという、実に絢爛豪華で芸術的なギターなのである。シェル・トップのギターといえばゼマイティスの美しいギターの数々が思い浮かぶが、“Il Milione”は細かなパーツでモザイク画のように絵柄を再現しているのが最大の特徴だ。その数はボディーだけでなんと1,900個、ヘッドやネックも含めると実に2,800個が用いられているという。

Il Milione全体
Il Milione(クリック/タップで拡大)

Il Milioneヘッド拡大
Il Milioneネック拡大
Il Milioneボディー拡大

『東方見聞録』の挿絵を手作業でボディーに適用

本機の製作は昨年2021年にスタートした。着想の発端となったのは、ブランドのマスター・ビルダー:ファブリツィオ・パオレッティ氏がマルコ・ポーロの歴史と中世風のデザインに深く感銘を受けたことだと、最高経営責任者のフィリッポ・マルティーニ氏は語る。「彼はヴェネツィアにとても魅了され、本プロジェクトのために最高のインスピレーションを得るべく、足繁く街へ通いました。ですから、構想がまとまるまでに少し時間がかかりました」(以下、太字はマルティーニ氏の発言)

現在のヴェネツィア
現在のヴェネツィア Pic: Courtesy of Paoletti Guitars

『東方見聞録』はイタリアでは『IL MILIONE』の名前で知られている。ご承知の通り、本書は13世紀、西洋人にとって未開の地であったアジア諸国を旅したマルコ・ポーロの体験談がもとになった旅行記である。印刷技術が発達する以前のことで、当時の書物は手書きで複製されるのが常。『東方見聞録』に関しても、言語や体裁の異なる130を超える複製本が存在するという。パオレッティ“Il Milione”のボディー部分に使われたのは、オックスフォード大学のボドリアン図書館が所蔵する装飾写本だ。

IL MILIONEの元になった挿絵
“Il Milione”の元になった『東方見聞録』の挿絵(ボドリアン図書館所蔵) © Bodleian Libraries, University of Oxford

この挿絵は、1271年にマルコ・ポーロがまだ見ぬアジアの地へ向けて、水の都:ヴェネツィアを旅立つ場面が描かれたものだ。街中に張り巡らされた水路をゴンドラが行き交う様子や、船着き場と冒険家たちの船出を色彩豊かに表現している。もともとは約10cm四方程度のサイズであり、ボディー全面に配置させるとなるとおよそ3倍の規模感で作成する必要がある。この作業はブランドが図書館に依頼した高解像度の写真を元に、手塗りの絵画に起こすところから始まった。その後、挿絵の中世風のイメージがギター全体に行き渡るよう、ヘッドやネックの絵柄がパオレッティ氏によって新たにデザインされた。

パオレッティ所有の挿絵原画
パオレッティから提供された同じ画像。原画の端に色サンプルが置かれている

挿絵を再現したボディー
挿絵を再現したボディー

Il Milione ヘッド拡大
“Marco Polo”や“Il Milione”の文字が装飾豊かに配置されたヘッド

Il Milione指板
指板上にはマルコ・ポーロのヴェネツィア出立になぞらえた“Venezia”“1271”のレタリングが

ファブリツィオ・パオレッティ氏の精密な作業工程

細かな絵柄を再現するため、様々な色合いの小さなパーツを1つ1つ手作業でモザイク画のように貼り付けていく。「最も小さいパーツは家々の窓や人々の顔で、直径1mmになるかどうかといったところです。手作業でパーツの形を整え、平らに加工にしてすべてがピッタリ合うように確認していくので、(ファブリツィオ・)パオレッティにとってはとても長い時間を要する仕事です。実はこうした複雑な作業をすべて、彼が一人で請け負っているのです」…それゆえ、1本のギターが完成するまでに数ヵ月がかかるという。10本生産というのも正直多すぎるのでは…と思われるほどに、非常に高い集中力と忍耐力を要するプロセスであることは間違いない。

 Il Milione インレイをはめ込む作業 1
Il Milione インレイをはめ込む作業 1

Il Milione インレイをはめ込む作業 2
Il Milione インレイをはめ込む作業 2

Il Milioneボディー拡大画像
ボディー部分拡大。中央の赤い衣装の人物がマルコ・ポーロだと思われる

マザー・オブ・パールという素材はギターのインレイとしてもよく知られているが、これは真珠を作る元となる貝の総称で、ヴェネツィアがその発祥地だとマルティーニ氏は語る。「パオレッティではヴェネツィアの真珠養殖業者から貝を仕入れています」ということで、まさにヴェネツィア産の素材を用いての総インレイという発想が“Il Milione”プロジェクトのコンセプトにうってつけだったと思われる。

青々とした水面や建物の赤い屋根、琥珀色の岸辺などに使われた鮮やかな彩色も目を引くが、これらはナチュラルレジンで色付けされている。「自然な状態のマザー・オブ・パールは、光の当たり具合で緑色や紫色にも変化する白色です。着色にはごく薄いナチュラルレジンを用いるのですが、このレジンはどんな色にでも染めることができます。それでいて、反射光の風合いは損なわれません。これらのミックスにより、最終的な色のコントラストと全体の見た目が決まります

つまり、同一デザインの10本が完成したとしてもマザー・オブ・パールの模様は1つずつ異なるので、どれもみな世界に1本しかない特別なモデルだといえるわけだ。複雑な色合いとパーツの模様が織りなす輝きは、いつまでも眺めていたくなるような魅力に溢れている。

10本の中で唯一異なる部分は、ネック・プレートに24K金メッキで施されたナンバリング。1本目には「1」、2本目には「2」…と続いて、「10」までの数字が埋め込まれる。背面はこのネック・プレートとキャビティ・カヴァーに、マザー・オブ・パールがあしらわれている。

Il Milioneネック・プレート
ネック・プレート

キャビティ・カヴァー
キャビティ・カヴァー

なお、写真のゼロ番「0」のモデルはパオレッティが所有し、ブランドのショウルームに永久的に飾られることになる非売品だ。

ギターとしての演奏性も考えられた設計

ここまではデザイン面に焦点を当ててきたが、本機はギターとしての機能も十分に果たしている。ボディーはパオレッティならではの、ワイン樽から再生された120年もののチェスナット材。ネックにはカナディアン・ローステッド・メイプルが使われ、ヘッドも通常のパオレッティ製品同様に整形、ゴトーのペグを搭載している。弦はアコースティック用が張られ、ローズウッド製のブリッジ下にピエゾ・ピックアップで音を拾い、ウォルナット製のヴォリューム・ノブで音量調節。フレットはジム・ダンロップ“6110”、指板には12インチのRが付けられている(その上にインレイを接着)…というように、鑑賞用のモデルながら演奏性への配慮も十分だ。マルティーニ氏はそのサウンドについて「おそらくピエゾ・ピックアップを搭載したギターと同等で、表面がマザー・オブ・パールになっているために少しトーンが異なると思います。結果をご説明するのは難しいですが、チェスナットとローステッド・メイプルが木材のほとんどを占めているので、パオレッティならではのサウンドになることはおそらく確実です」と語ってくれた。

Il Milioneペグ
ペグはゴトー製。安定のチューニングとクラシックな風合いを提供

Il Milione キャビティ・カヴァー
アウトプット・ジャック

購入時には展示用のガラス製ケースも付属し、「必要であれば、製品のお届けにはスタッフが付き添います。世界中、どこへでも参ります」とのこと。現状では、購入の意志がある人はブランドのウェブサイトから金額に関する問い合わせができるようになっている。おそらく天文学的な額であることは間違いなく、既に映画俳優などの著名人が“Il Milione”の興味を示している…との情報もあるようだ。

もはや一般人にとっては雲の上のような世界の出来事にしか思えないかもしれない。しかし、このような国宝級のギター製作プロジェクトが存在する…というエピソードだけでも、十分に夢とロマンを感じさせてくれるのではないだろうか。

Il Milioneガラスケース展示例
ガラス製ケース展示例

博物館を借り切ってお披露目イベントを開催

Il Milione前面
Il Milione背面

…というわけで、目下製作の真っ只中にある“Il Milione”。マルコ・ポーロの没後700周年を迎える2024年には、10本すべてのモデルが完成する見込みだ。しかし、驚きはこれだけではない。

パオレッティでは現在、“Il Milione”シリーズが揃う2年後を盛大に祝うべく、ヴェネツィアにある博物館を借り切ってレセプション・パーティーを行なう計画を進めている。本機のオーナーや関係者、ミュージシャンなどが招待されるとのことで、当日は午前中にヴェネツィア到着〜市内を自由観光した後、午後には会場に集合してプレゼンテーション・イベントに出席。その後カクテル&ディナー・パーティーへ…歴史的な街ごとこのギターを楽しんでもらおうという、実にダイナミックかつ洗練された催しだ。

ファブリツィオ・パオレッティ氏
レセプション開催予定の博物館前にて、ファブリツィオ・パオレッティ氏(2022年8月頃撮影) Pic: Courtesy of Paoletti Guitars

昨年パオレッティは、工房の地元であるフィレンツェに生まれたレオナルド・ダ・ヴィンチの没後500周年を記念し、美しい木工技術を活かした限定シリーズ“Leonardo 500”:“I Nodi”“Il Giglio”の発表で話題を呼んだ。パオレッティ氏の洗練されたクラフトマンシップは、日本なら人間国宝レベルといっても過言ではない。今後しばらくは“Il Milione”の製作を最優先するようだが、将来的にはまた新たに人々を驚かせるような作品を期待しても良いだろうか…? マルティーニ氏に尋ねてみると、「まだその話をするのは早いと思いますが、既にいくつか新たなアイデアが浮かんでいるようで、レセプション・イベントで発表されるかもしれません」…と明かしてくれた。

『東方見聞録』の原題である“Il Milione”は、イタリア語で“100万”を意味する。何が100万を指すのかは解釈が分かれるようだが、一説には旅の間に手に入れた財産を指すと言われている。「マルコ・ポーロが多くの富を抱えてイタリアに戻ってきたことは、今回のプロジェクトに大変大きなインスピレーションを与えました。もし叶うなら、ぜひとも本人にこのギターをお見せしたいところです。だからこそ今回のプロジェクトとマルコの生涯を、彼の人生が交差した街、そして私たちの愛する街の博物館で祝うことにしました。イベントが実現した時には、きっととても幸せで誇らしい気持ちになることでしょう

パオレッティ“Il Milione”モデル概要

スペック
ボディー:再生チェスナット材
ネック:1ピース/カナディアン・ローステッド・メイプル(イタリア・トスカーナにてロースト加工処理)
ブリッジ:ローズウッド
ピックアップ:ピエゾ・システム
コントロール:ヴォリューム×1

金額:公式ウェブより問い合わせ

公式インフォメーション:
MARCO POLO – LIMITED EDITION | Paoletti Guitars