9月下旬に約2年振りとなる再来日を果たし、東京、大阪にてブルータルな騒乱を巻き起こしたポーランドの重鎮メタラー:ヴェイダー。その東京公演の模様は、YG本誌’16年10月号にレポート記事を掲載したが、ここでは東京公演本番直前に行なったリード・ギタリスト:スパイダーの独占インタビューをお届けしよう。ウルトラ・ヘヴィな激烈サウンドの上で、流麗なシュレッドやタッピングをキメまくるそのバックグラウンドとは? また、話し始めると止まらなくなってしまう彼には、ヴェイダー加入に到るまでの経緯についても改めて詳しく語ってもらった…!
ギターには今でも新たな刺激を求めている。世界中を探し廻っているんだ
YG:まずは、ギターを始めた年齢とキッカケから教えてください。
スパイダー(以下S):ギターを始めたのは結構遅くて、17歳の時だった。本当は公立の音楽学校に通おうと思っていたんだが、既に遅過ぎてね。「コントラバスやドラムだったら可能ですが、ヴァイオリンと同じで、ギターの腕前を上達させたいのなら、もっと若くから始めなければなりません」と言われたんだ。15歳までという制限年齢があったんだったかな。
YG:それはクラシックを学ぶための学校でしょうか?
S:うん。当時のポーランドには、ロックやブルースを教えてくれるクラスはなかった。規律も厳しく、だから制限年齢が設けられているのかもしれないな。そこで俺は決めた──「ならば自分で習得しよう」とね。学校じゃなくて世の中にあるモノから学んでいこうと決めたのさ。
YG:ギターを始める以前に何か楽器はやっていましたか?
S:キーボードをやっていたよ。クリスマスに両親から小さなキーボード──楽器というよりオモチャみたいなモノだったけど──をプレゼントしてもらい、そこで初めて音を使って何かを創作することを覚えたんだ。音の成り立ちは全く分からなかったから、当時は自分なりに作った記号みたいなモノを鍵盤に付けて、そのやり方で曲も書いていた。そんなある日、近所の友達がやってきて、「キーボードをしばらく貸して欲しい」と言われてね。彼はギターを持っていて、「良いキーボードだ。音も良い。僕のギターと交換しない?」と言うから、「2〜3日だけだったらイイよ」ということになったんだ。ところがその時、俺はキーボードのアダプターを渡し忘れてしまい、友達は別のアダプターで代用することにした。そしたら何と…キーボードが発火してしまったらしい。そこで、「壊れちゃったじゃないか! じゃあこのギターは僕のモノだ!!」と、そのクラシック・ギターというか、アコースティック・ギターを戴いちゃったのさ。そこからすべてが始まったんだよ。
YG:ギターはどのようにして習得していったのですか?
S:他にもギターを始めていた学校の友達がいて、コードや演奏に関するごく基本的な理論などを教えてくれたんだ。ちょうどメタルを聴き始めたのもその頃だったな。俺のキーボードのルーツって、ジャン・ミッシェル・ジャールとかヴァンゲリスだったんだけど、スレイヤーを聴き始めたら、当然だけどキーボードなんて出てきやしない! 「だったらギターを弾こうかな?」と思ったワケ。それがちょうど、音楽学校に入ろうとして断られた頃だね。勿論、独学でも頑張ったよ。古い教則本を片手にね。まだインターネットもYouTubeも、DVDすらなかった頃だ。曲を録音したカセットを大量に持っていたから、それを古いプレイヤーで聴きながら、耳コピしてはギターに置き換えていくということをやっていた。
ただ、当時はヘンな弾き方をしていたよ。だって、どうやって弾けばイイのか、運指なんて見当もつかなかったし、教えてくれる人もいなかったら…。最初に買った教則本はとてもショボくて、確か著者はポーランド人だったと思うけど、ブルース・プレイヤーでさ。その本で初めてダイアグラムに出会ったんだ。我流でやっていた俺の弾き方とまるで違っていたよ。ペンタトニック・スケール1つとっても、典型的なポジションは5つあるワケで、とにかくまずは、自分の弾き方を矯正することから始めたね。チャレンジだった。そうして理論、詳細な奏法、ソロの弾き方などを勉強していったのさ。
YG:その教則本にはブルースの奏法が解説されていたのですか?
S:ああ。だから、「それじゃあメタルには対応出来ない」「ハーモニック・マイナーみたいな別のスケールを知らなきゃ」「モードだって7つあるんだぜ」…なんて、みんなから言われたよ。そこで、また別の本を探してきた。やはり著者はポーランド人で、凄く頭のイイ人物だったね。そうして、モード・スケールやハーモニック・スケールを学んだことで、俺にとってすべての可能性がオープンになったんだ。覚えたスケールやリフがプレイの中でどう使えるか、試すようにもなった。でもそのうちに、今度は「自分のスタイルを確立しなくては…」と思うようになり、どのスケールが俺の音楽や自己表現にとってベストなのか、考えるようにもなったよ。DVDが出て来て、譜面が多い教則本も増えてきたのは、それから2〜3年してからだ。マイケル・ロメオの教則ビデオ(’97年『THE GUITAR CHAPTER』)もよく観ていたな。『YOUNG GUITAR』のロゴが入ったヤツだよ! その後はインターネットも普及し始め、俺もひと通り活用したな。
YG:最初はアコでメタルを弾いていたのですか?
S:そうだよ。「どうもウマくいかないな…何でだろう?」なんて言いながらアコを弾いていた。そしたら、「メタルをやるならエレクトリック・ギターを買わないと!」って言われたよ(苦笑)。そこで両親にせがんで、中古のエレクトリック・ギターを買ってもらった。アイバニーズだったかな。小さな“魔法の箱”を見つけたのも同じ頃だ。ディストーション・ペダルのことさ。お金を貯めて最初に買ったのは、BOSSの“Heavy Metal”。それが俺の人生をすっかり変えてしまった。この“箱”を使って、音作りやスケールの勉強と並行して、自分がやりたい音楽を創り上げるための経験を積んでいったんだよ。
YG:当初のギター・ヒーローというと?
S:沢山いるよ。ひとりひとり、みんな違うカラーを持っている。中でも一番好きなのは、ジョー・サトリアーニ。彼は天才だ。最高のギター・アルバムを作った最高のギタリストで、メロディーがとてつもなく素晴らしい。彼はシュレッダーというワケじゃないけど、1stアルバム(’86年『NOT OF THIS EARTH』)で見せたテクニックは信じがたいほど凄まじいよ。タッピングやアーミングなどだね。俺はタッピングが大好きだから、その後も追及していったところ、エディー・ヴァン・ヘイレンに行き着いた。彼はタッピングがどうとかではなくて、正に“エレクトリック・ギターの父”だな。あと、クラシック音楽にも大きく傾倒していたんで、イングヴェイ・マルムスティーンも大いに尊敬している。勿論、その2人より新しいギタリストも好きだよ。アンディ・ティモンズは、サトリアーニや(スティーヴ)ヴァイを彷彿とさせるファストなリックが最高だし、マイケル・ロメオも圧倒的だ。それからトニー・マカパインも…! 彼のタッピングには驚愕するしかない。どうやればあんなことが出来るんだ? 彼こそ一番クレイジーなギタリストなんじゃないかな(笑)。
ただ、どんどんギターの魅力を知っていくうちに、色々な要素をミックスさせたらどうなるか…というようなことも考えるようになった。そもそも、サトリアーニもヴァイもイングヴェイも、みんなそれぞれ違うタイプの音楽性を提示しているだろ? ギターに関しては、今でも新たな刺激を求めている。世界中を探し廻っているんだ。知名度なんて関係ない。有名なギタリストだろうと、YouTubeに動画をアップしている子供だろうと、自分の心を動かしてくれるのなら、それでイイんだよ!
YG:エクストリームなメタルにはどうやってハマっていったのですか?
S:初めて聴いたメタルはアイアン・メイデンだったけど、スレイヤーが出発点になった。そしてデスと出会い、次のステップに移っていったのさ。アメリカのバンドでは、何と言ってもモービッド・エンジェルが最高だね。ピート・サンドヴァルは素晴らしい。彼等は今でもお気に入りのデス・メタル・バンドさ。無論、ヨーロッパのバンドも色々と聴いていたよ。ヴェイダーはその中にあって、ナパーム・デスにもハマったし、カーカスもお気に入りだった。カーカスは結構メロディックだったよね。ナパーム・デスはとにかくメチャクチャ速い!!(笑)
YG:ここで改めて、ヴェイダー加入の経緯について話して頂けますか?
S:ピーターと知り合ったのは随分前でね。以前やっていたバンド:ESQARIALで2ndアルバム(’01年『DISCOVERIES』)を出した時、一緒にツアーを廻ったんだ。その後、ピーターから電話がかかってきた。その時は、「俺のソロ・プロジェクトでソロを弾いてくれないか?」と言われたよ。PANZER Xといって、ポーランドの有名なメタル・シンガー:元TURBO〜CETI他のグジェゴシュ・クプツィックが参加していたヘヴィ・メタル・プロジェクトさ。そこ(’06年のEP『STEEL FIST』)でソロを弾くよう頼まれたんで、スタジオに行って、ピーターとツアーの時以上に長い時間を一緒に過ごしたよ。で、その時のことが彼の頭の中にあったんだろう。しばらくして──’07〜08年頃、マウザーが脱退した時にピーターからまた連絡があって、「ヴェイダーに入ってギターを弾いてくれないか?」と言われたのさ。素晴らしいオファーだった…けど、俺は当時、結婚して息子が生まれるタイミングだったのもあって、家庭の事情によりそのオファーを辞退してしまった。ギター的には準備が出来ていたけど、精神的にはまだだった…と言えるかもしれない。ヴェイダーはツアーが多いから…。アレは苦渋の決断だったな。
YG:結局その時、ヴェイダーはツアー・メンバーとしてディキャピテイテッドのヴォッグを迎えたのですよね?
S:ああ。あの時は、バンドにとっても俺にとってもそれがベストだったんだ。しかし──それから1年後、ヴォッグがディキャピテイテッドを再結成させるため、バンドを脱けた。そこでピーターから再び電話があり、もうその頃には俺の生活も落ち着いていたから、「是非やりたい!」と返事したのさ。それで、まずはライヴをやって様子をみよう…という感じでスタートし、’10年1月のマーダックとのヨーロッパ・ツアーが初仕事になったよ。その後に正式加入が決まり、もう一緒にやるようになって7年ぐらいになる。あれ? ちょっと待てよ…。ひとつ忘れてたけど、ヴォッグがツアー・メンバーをやっている頃、俺は『NECROPOLIS』(’09年)のレコーディングに呼ばれて、何曲かでソロを弾いたんだった! アレは奇妙な状況だったね。当時、ヴォッグはライヴで俺のソロを弾いたのかな?(笑)
YG:あなたが正式加入して最初のアルバムは『WELCOME TO THE MORBID REICH』(’11年)ですね?
S:そうだ。アノ時は、それまでに作ったアイデアをすべて持って行ったよ。元々、自分のバンド用に書いていたモノも含めてね。その結果、俺が加わったことで、バンドのスタイルがちょっとだけ変わったんじゃないかな?
YG:今日は『DISCOVERIES』のTシャツを着ていますが、ESQARIALはもう解散してしまったのでしょうか?
S:続けたいと思っていたけど…難しかった。ヴェイダーの活動が始まると、圧倒的に忙しくなってしまったからね。それで他のメンバーには、「もうみんなと一緒に活動していけそうにない。プロモーションはみんなでやってくれ。俺も出来るだけ努力して、ライヴにも出られるようにするけど、保障は出来ない」と伝えたんだ。俺がリーダーだったから…。結局、’08年にアルバムを1枚作って、それ(『BURNED GROUND STRATEGY』)が最後になってしまったよ。ところが驚いたことに、次のアルバムを待ってくれているファンがいるんだ。ポーランド国外でショウをやるほどの活動規模には発展しなかったバンドなのに…。今でも俺達の音楽は広まっているらしい。だから、「まだ終わってない」と言いたいな。いつ再結成出来るか、それは分からないけど──活動再開は難しくても、フル・アルバムが1枚レコーディング出来るだけのアイデアはあるし、打ち込みでドラムを入れれば形にもなる。だから、時期を見て色々と考えてみるよ。
YG:では最後に、日本へ持ってきたギターを教えてください。
S:ジャクソン“King V”を持ってきた。デス・メタル系のバンドが使うギターといえばジャクソンかESPだろ? だからずっとエンドースしたかったんだけど、ある時、先方から連絡があってね。すぐに「是非!」と返事をしたよ(笑)。実は、最近カスタム・ショップ製のモデルが出来上がってきたんだけど、これが正に“夢のギター”に仕上がっていてさ!(註:ページ冒頭の写真参照) 俺は以前から“こんなギターが欲しい”という画像をパソコンに保存していて、それを送ったところ、その通りに作ってくれたんだ。ただ、まだ真新しいし、フライトでの移動が多い時に壊れてしまったら困るから、長期のツアーには持っていかないことにしている。大事なギターだから、ケースにしまって自宅で保管しているんだよ。
YG:持ってきた“King V”はいつ手に入れたのですか?
S:ジャクソンから最初にもらったギターなんだ。カスタム・ショップ製ではないけど、クオリティはとても高い。文字通り“プロフェッショナル・モデル”さ。一番古くから一緒にいるお気に入りで、いつでもショウに出られる準備が整っている。“彼女”は俺をガッカリさせることがないよ!
YG:どこか改造していますか?
S:ピックアップについては、今試している最中でね。ギターとピックアップって色々と相性があるだろ? 実際、しょっちゅう変えているよ。今日使うギターにはEMGを載せているけど、新しいカスタム・ギターにはセイモア・ダンカンが搭載されている。もっと昔のギターにはディマジオが載っていたし──まだまだ模索中ということだね。
YG:チューニングはどうなっていますか?
S:スタンダードのC♯だ。ドロップはしていない。全曲同じだよ。以前は2曲ぐらいチューニングが異なっていて、その場で調整していたけど、「速いメタルをやっているんだから、チューニングなんて変えているヒマはない!」…ということで、今は全曲C♯でプレイしているんだ。
YG:ピーターのギターは分かりますか?
S:“RAN Guitars”だよ。ピーターの旧友のポーランドの職人が作ったカスタム・ギターで、彼はもう随分長いこと“RAN”を弾いている。信頼関係が厚いから、きっと彼は一生このブランドのギターを弾き続けるだろうな!
ヴェイダー 公式ウェブサイト
Vader