スウェーデンのHR/HMバンド:ユニヴァースのことを憶えているだろうか? 1985年にセルフ・タイトルの『UNIVERSE』でアルバム・デビューを飾るや、哀愁たっぷりな劇的サウンドで人気を集め、当時は日本盤のリリースがなかったため、輸入盤店でベスト・セラーとなった、ツイン・ギター編成の6人組だ。ただ残念ながら、次なるステップには昇り詰めることが出来ず、1988年にあえなくバンドは解散…。しかし、それから30年以上の年月を経て、ユニヴァース・インフィニティーとして突如復活。心機一転作『ROCK IS ALIVE』を発表して世界中のファンを驚かせたのは、2018年のことであった。
それから……さらにまた紆余曲折あり、彼等は今回、ユニヴァース・スリーと再び改名し、ここに約6年振りとなる通算3作目──改名後の第1弾作『UNIVERSE III』を届けてくれたのである!
現ラインナップは、アンドレアス・エクルンド(vo)、ペル・ニルソン(g)、ハッセ・ハグマン(b)、アンダース(アンデシュ)・ヴェッテシュトレム(dr)、フレディ・クリストレム(key)という5人。オリジナルのユニヴァース時代からメイン・コンポーザーを務めてきたミカエル・クリング(g)の名前がないことに、「あれっ…?」と思った人もいるだろうか? そう、コロナ禍の最中にミカエルは去り、現ユニヴァース・スリーはシングル・ギターの5人組となっている。では『ROCK IS ALIVE』発表後、彼等はどのようにしてコロナ禍を乗り越え、『UNIVERSE III』完成に漕ぎ着けたのか? “True Temperament Fretting System”の愛用者で、何とその運営にも関わっているというペルに、自身のバックグラウンド、何とも興味深い“北欧メタル”勃興直前のスウェーデンのシーンの状況なども含め、色々と話を伺った…!!
どうしてこんな小さな町から、こんなに多くのHR/HMバンドが登場してくるのか…?
YG:本誌初取材ということで、まずはあなた自身のことから質問させてください。そもそもギターを始めた年齢とキッカケは?
ペル・ニルソン(以下PN):オモチャのギターを手にしたのは、2歳の時だったんじゃないかな? すぐその魅力に取り憑かれたよ。良きお手本だった9歳年上の兄は、ザ・ビートルズ、テン・イヤーズ・アフター、ジミ・ヘンドリックスなど、ギター主体の音楽を聴いていてね。だから、僕には“逃げ場”などなかったよ。事実そういった音楽が大好きになって、幼少期からタダで聴きまくることが出来たんだ(笑)。
とてつもない影響を与え、僕にギターという刻印を押したのは、1969年の“Woodstock Music & Art Fair”でテン・イヤーズ・アフターが演奏した「I’m Going Home」だった。あのエネルギーに触れたことで僕にとっての大きな転機が訪れ、それを契機としてギター開眼につながるのさ。そんな僕の最初のアイドルは、アリス・クーパーとKISSだったよ。ギター・アイドルというと、センセイショナル・アレックス・ハーヴェイ・バンドのザル・クレミンスン、スパークスのエイドリアン・フィッシャー、それから、リッチー・ブラックモアとエース・フレーリーかな。
YG:当初はレッスンを受けましたか?
PN:ほぼ独学だよ。沢山のレコードを聴きながら、それに合わせて弾いていたんだ。ただ、実際にギターを弾き始めるまでには、長い年月がかかった。というのも、14歳まで自分の楽器を持っていなかったから…。当時、同じ学校の友人達がCOME-ONというカヴァー・バンドを組んでいて、そのリハによく顔を出していてね。’50sに影響を受けた、ハードなスタイルのロックを演奏していたそのバンドから、ある日リード・ギタリストが別の街へ引っ越すため脱退してしまい、彼等は僕に「加入したいか?」と訊いてきた。本当だったら、即座に「イエス!」と答えたかったんだけど、僕はギターを持っていなかったし、まともに演奏が出来なかった。
そこで、ボルトオン・ネックのハーモニー製LPシェイプのギターを買い、そこから本格的に練習を始めたんだ。一時期、短期間だけど近所のギターを弾く人のところで、基本的なことを教わったこともある。ただ、学校にはギターを弾く友達が多かったし、みんなで互いに多くのことを学び合ったものさ。あの頃は、のちにヨーロッパで活躍するベーシスト:ジョン・レヴィンとよくつるんでいてね。彼は自作したSTシェイプを持っていて、僕にとってはそれはそれは素晴らしいギターに見えたよ。ジョンからはかなり刺激を受けたな。
YG:ハーモニーのギターを手に入れる前は、ずっとオモチャのギターを弾いていたのですか?
PN:祖父母の田舎の家の押し入れで、ナイロン弦のギターを見つけたんだ。そこにスティール弦を3本を張って弾いていたなぁ。その後、Bjärtonのアコースティック・ギターを買ってもらい、実は最初のエレクトリック・ギターは、テレキャスターのコピー・モデルだったんだ。初めて“本当に良い”と言えるギターを手に入れたのは、1980年のことだったっけ…。ジョン・ノーラムから買ったモーリスのLPシェイプだったよ。大好きなギターでね。同じ頃、ジョンにはマーシャルの“Super Lead”も譲ってもらったんだ。
YG:早くからHR/HMバンドをやっていましたか?
PN:最初のバンドはさっき言ったCOME-ONで、それから1年ぐらいは色々なタイプのロックをプレイし、やがてHR/HM方面へ切り替わっていった…という感じかな。
COME-ONが終わったあと、リハーサル場所として古い体育館を借り、そこで色々な人達とジャムったよ。ある日はジョン・レヴィンと、またある日は、同じく売れっ子ベーシストだったレイフ・エドリング──のちのキャンドルマスのバンマスだ──とね。その後、アンデシュ・ヒルドランドというギタリストとつるむようになり、彼の兄のユーナスと一緒に組んだのが、RISEというバンドでさ。そこではオリジナル曲でデモも録ったし、自分達の学校でプレイしたり、地元のウップランズ・ヴェスビーで行なわれた小さなフェスに出たりしていたよ。
当時はパーティ三昧の激動の時期だったな。そして、RISEを脱けた僕はハンス(ハッセ)・ハグマン、アンダース・ヴェッテシュトレムと新たなバンド:TWILIGHTを結成する。あの頃、地元では多くのコンサートや音楽祭が催されていてね。1981年にストックホルム近郊のグリムスタスコランで開催されたフェスには、特筆すべきバンドが多数出演していたよ。僕のバンドTWILIGHTに、ヒルドランド兄弟のRISE、それから、イアン・ホーグランドとレイフ・エドリングがいたTRILOGY、イングヴェイ・マルムスティーンとマルセル・ヤコブのRISING FORCEなどなど。あと、のちにユニヴァースを立ち上げるミカエル・クリングのMOONも出演していたし、会場にはジョン・ノーラムやジョーイ・テンペストなど、FORCEのメンバーもいたな。
スウェーデンのHR/HM史において、とてもエキサイティングな時期だったよ。当時はみんなが顔見知りでさ。よく一緒にライヴをやったし、お互いのショウを観に行くこともあった。それぞれでギターやアンプを売ったり、買ったり、交換したりということもよくあったな。
YG:MOONのミカエル・クリングがジョン・ノーラムとやっていたWCのライヴを観たことは?
PN:何度かあったよ。1979年にマルメのフォルケッツ・パークで行なわれたショウは伝説になっている。あのライヴを観て、ミュージシャンを志した若者は少なくないだろう。ウップランズ・ヴェスビーのローカル・バンドからあんなにも凄いサウンドが出せるなんて…ね! 実際彼等はロック・スターのように見えたし、そういった面にもみんな大いに刺激されたのさ。しょっちゅう訊かれたよ。「どうしてウップランズ・ヴェスビーのような小さな町から、こんなに多くのHR/HMバンドが登場してくるのか?」…ってね!
YG:その後、あなたはミカエル達とユニヴァースを組み、1985年に『UNIVERSE』でアルバム・デビューを飾ります。当時、日本では北欧のHR/HMが人気で、『UNIVERSE』が輸入盤として売れまくっていたことはご存知でしたか?
PN:日本で沢山アルバムが売れているという噂は耳にしていたよ。でも当時、スウェーデン国外とのコネクションを作ってくれる人はいなくてね…。
YG:結局、ユニヴァースは1988年に解散してしまいますが、2010年代になって復活し、ユニヴァース・インフィニティーと改名します。その際、新たに加わったシンガー:アンドレアス・エクルンドはどのようにして見つけましたか?
PN:ただ単に運が良かった…という感じかな。最初は、みんなで他のシンガーについて話したり、色々なバンドの音源を聴いたりしていたんだ。すると突然、凄く気に入った声が聴こえてきてね! それがアンドレアスだった。そして、彼の連絡先を突き止め、それから1時間と経たないうちに電話で話すことも出来たよ。幸い、当時の彼はどこのバンドにも所属していなくて、スタジオに招いて一緒にプレイしてみたのさ。その後については、みんなも知っての通りだ。アンドレアスは僕達の曲を気に入ってくれて、そこからトントン拍子に話が進んでいった。
YG:ユニヴァース・インフィニティーとしての心機一転作『ROCK IS ALIVE』のリリース後には、どれぐらいライヴを行ないましたか?
PN:6回かな? 残念ながら、2020年春に新型コロナウイルスのパンデミックが起こったりもしたんでね。でも、30年振りに地元で演奏出来たのは本当に最高だった。僕達はライヴをやるのが大好きだから、どのライヴでも全力を尽くしているけど、特に素晴らしかったのは2019年2月、ドイツはヴュルツブルクで行なわれたフェス“Metal Assault”出演ショウだったな!
YG:パンデミックの最中はどうされていましたか?
PN:ロックダウンでライヴをやるのは現実的じゃなかったから、勢いを止めないためにも、とにかくリハーサルを続けよう…ということになった。ところが、メンバー同士で距離を取り、状況によってはマスクを着けてリハをやっていたにもかかわらず、ミカエルが「リハーサル・ルームにはいたくない」「そんなことより、家で他のことに時間を使いたい」と言ってきてね…。
YG:ミカエルは2019年に大ケガをして、しばらくギターを弾けない時期があったそうですが、それも関係しているのでしょうか?
PN:(ケガで)腕に問題を抱えていた時期があったのは事実だけど、それってパンデミックの前のことだからね。ただ僕達としては、(ミカエル抜きで)リハーサルを数回やっただけで、どんどんインスピレーションが湧いてきたんだ。だから、デビュー・アルバムの時と同じように作業していくのみだった。誰かがアイデアを思い付き、メンバー全員でインスパイアし合い、出てきたアイデアを捉えるために助け合って、楽曲として完成までもっていく──それこそ、みんながやりたかったことさ。『ROCK IS ALIVE』では、1980年代に書かれたお蔵入り曲をレコーディングした。でも、僕達はそれで終わりにはしたくなかったんだよ。
YG:その後、ミカエルの後任ギタリストを加えることなく、シングル・ギターの5人組のまま活動を続けることにした理由は?
PN:当初は、代わりのメンバーを探すことになっていたんだ。しかし、時間が経過するにしたがって、徐々に「5人組のままでイイんじゃない?」と考えるようになった。それで新たなインスピレーションを得られることが出来たし、バンドの状況も最高だったんでね。それを変える必要なんてなかった。そうこうしているうちに、ギタリストは1人だけでイイという結論に達したというワケさ。
ワウを使うことで、“特殊な方言”になる
YG:ユニヴァース・インフィニティーから、今回、ユニヴァース・スリーに改名した理由は?
PN:何度も何度も話し合った結果なんだ。結局のところ、今のバンドは“インフィニティー”の頃とまた違っていて、新曲はむしろ曲作りの経緯などデビュー・アルバムの頃に近いと言えるから、名前を変えるのが最善だということになった。
YG:オリジナルのユニヴァースから数えて3枚目──“スリー”としてのデビュー作となる新作『UNIVERSE III』ですが、ミカエル在籍時に書かれた曲も含まれていますか?
PN:いや…、パンデミック中にミカエル抜きで曲作りを始めたからね。(『UNIVERSE III』収録曲は)すべて書き下ろしの新曲で、1980年代からの曲は含まれていない。曲作りに当たっては、何も方向性は決めず、どんどん曲を書いていった。とにかくみんなアイデアに溢れ、もっと時間とリソースがあれば、すぐにでも次のアルバムを作ることだって出来るぐらいだったよ。
YG:では、『UNIVERSE III』のレコーディングで使用したギター周りの機材について教えてください。ギターは複数本使いましたか?
PN:エレクトリックは3本使った。“True Temperament〜”を採用したVGSの“Eruption Pro”が2本と、ギブソンのレスポールだ。VGSの2本にはベア・ナックル“Black Dog”ピックアップが搭載されていて、メインのものをノーマル・チューニングで使い、あともう1本はドロップDで「Liquide Confidence 」「Too Late」「It’s Time」の3曲を弾いた。レスポールは基本的に全弦1音下げで、「To Serve And protect」「Casa De Los Pollos」だけドロップCにして弾いているよ。あと、“True Temperament〜”の発明者であるアンダース・シデル(アンデシュ・ティデル)が組み立てたSTシェイプも使ったな。メリハリを付けるために幾つかのリズム・パートをダビングしたんだ。そちらには、ディマジオのピックアップ“HS-3 DP117”1基と“YJM DP217”2基が載っているよ。
(編註:全収録曲のチューニングに関しては、ページ下のアルバム情報を参照)
ちなみに僕は、“True Temperament〜”の共同オーナーのひとりでね。アーティスト担当のA&Rをやっている。話すと長くなるから、興味がある人は公式ウェブを見てみてくれ。そういえば、“True Temperament〜”採用のアコースティック・ギターも、オーヴァーダブで弾いているよ。スウェーデンのSanden製のアコで、実に素晴らしいギターなんだ!
YG:アンプは何を使いましたか?
PN:全曲でフリードマン“BE-100”を使ったよ。リズムにもリードにもね。エフェクト・ループにはエキゾティック“EP Booster”を、ノブを11時の方向に回して使用。あの圧縮されたサウンドが好きなんだ。スピーカーは、リズム・パートでセレッションのスピーカー“Vintage 30”と“G12T75”を搭載したボグナー“Uberschall”を。一方リードでは、ボグナーの代わりにトゥー・ノーツ“Torpedo Captor X”を使用した。
YG:ギター・サウンドは『ROCK IS ALIVE』よりも、ソリッドかつパワフルになっていると感じました。
PN:あのサウンドの秘密は、アンプと“EP Booster”の組み合わせにある。あと、“Vintage 30”と“G12T75”の組み合わせも凄く気に入っているんだ。
YG:昔ながらのペダルは使いましたか?
PN:ワウ・ペダルを2台用意した。AREA 51製と古い“Cry Baby”だ。僕のリード・サウンドにはワウが欠かせない。そうすることで、“特殊な方言”になる…とでも言おうか。もしくは、より自分らしく聴こえる…と言っておこうかな?
YG:ギター・ソロに関しては、以前は殆どをミカエルが弾いていたようですね?
PN:うん。以前、ソロの95%はミカエルが弾いていたよ。リズムは半々で弾き分けていたんだけどさ。
YG:『UNIVERSE III』収録曲で、ヤング・ギター読者に特に注目して欲しいギター・プレイというと?
PN:「It’s Time」のソロだね。これは2022年に亡くなったアンダース・シデルに捧げられている。彼に敬意を表し、生前所有していた“Uni-Vibe”も使っているよ。実は、短期間のうちに僕は愛する人達を何人も喪ったんだ。“True Temperament〜”の生みの親であるアンデシュの前には、兄も亡くなってしまい、そのことが自分のプレイに大きな影響を与えているよ。
YG:では最後に、今後の予定を教えてください。『UNIVERSE III』に伴うツアー計画はありますか?
PN:今は「出来うる限りライヴをするつもりだ」と言っておこう。近い将来、是非とも日本でもプレイしたいと思ってもいるんだ…!!
INFO
収録曲とギターの使用チューニング
1. I Am (*1)
2. To Serve And Protect (*2、*4)
3. Casa De Los Pollos (*2、*4)
4. Why (*1)
5. Hanging By A Thread (*1)
6. Rise Above (*1)
7. Liquid Confidence (*1、*3)
8. Dream Of Better Days (*1)
9. Too Late (*1、*3)
10. It’s Time (*1、*3)
11. To Serve And Protect(Acoustic Version)
*1:レギュラー・チューニング
*2:全弦1音下げチューニング
*3:ドロップD(レギュラー+6弦のみ1音下げ)チューニング
*4:ドロップC(全弦1音下げ+6弦のみさらに1音下げ)チューニング