ヤング・ギター本誌2020年10月号では、リリース30周年の節目を迎えた『PAINKILLER』を再検証する大特集を掲載。しかしその内容に迫るに当たっては、何はともあれプリーストの当時のギター・チーム:K.K.ダウニング&グレン・ティプトンに登場してもらわなければ始まらない。ただ残念ながら、今回グレンへの取材は叶わず──K.K.にすべてを語ってもらうことに。既にプリーストを脱退している彼だが、幸い本誌の取材依頼に快く応じてくれた。ここに掲載するのは、その独占ロング・インタビューの冒頭である。
プリースト・ファンにとって、『PAINKILLER』は早過ぎた
YG:いまだに世代を超えて大人気で、プリーストのベスト・アルバムに挙げるファンも少なくない『PAINKILLER』ですが、アルバム完成当時もその後ずっと語り継がれていく名盤になるという手応えを感じていましたか?
K.K.ダウニング(以下KK):いや、全然。よく考えるんだ。「ピンク・フロイドが『THE DARK SIDE OF THE MOON』( ’73年)を作った時、それが永遠の名盤になるということを彼らは想像していただろうか…?」ってね。きっと、それはないと思う。単にその時、できる限りのベストを尽くしただけだろう。人は誰しも「どうなるか」ということについて常にナーヴァスになっている。でもその時は楽観視して、ただベストを尽くすしかない。まぁ、いつだって気にはしているよ。特にジューダス・プリーストの場合はね。プリーストがスタジオ入りしてアルバムを作る時って、あれこれ変更になることが多かった。それが良い結果につながったこともあれば、そうじゃないこともある。アルバム・リリースのタイミングがラッキーだという場合もあるし、そこには様々な要素が絡んでくるのさ。よく私達は、「アルバムを早くリリースし過ぎた」とか「遅くリリースし過ぎた」なんて言っていたものさ。実のところ、アルバムにとって完璧なタイミングでリリースされたことなんてほとんどなかったんだけどね。多分、あっても2〜3回じゃないかな? 『PAINKILLER』の場合も、多くの人達にとっては早過ぎた…と思う。それはリリースしてすぐに大成功したわけじゃなかったことからも分かるよ。最初は今のように絶賛されてはいなかったんだ。ところが時が経つにつれ、このアルバムはどんどん強力になっていった。そう考えると、やっぱりタイミングは悪かったんだろうな。ただラッキーなことに、今の私達にとってもうタイミングは問題ではない。結果的に高い評価が得られたんだから、終わり良ければすべて良し…さ!
YG:アルバムの制作に当たっては、事前にどんなサウンドにするか決めていましたか?
KK:それはなかったと思う。これがスコット(トラヴィス/ dr)との初作品になるということは自覚していたけどね。それで私とグレン(ティプトン/ g)は、彼のドラム・スキルを念頭に置いて曲を書くことができたんだと思う。あのファストなダブル・ベース・ドラムのおかげで、デイヴ(ホランド/前dr)の時代とはまた違った曲作りを行なうことができたのさ。もちろん、デイヴも素晴らしかったよ。『BRITISH STEEL』( ’80年)から『RAM IT DOWN』( ’88年)まで、ずっと私達は満足だった。でもスコットが加わったおかげで、よりファストかつパーカッシヴなリフを作ることができるようになったんだ。そしてそれは、リッパー(ティム・オーウェンズ/ vo)期の「Bullet Ttrain」( ’97年『JUGULATOR』収録)などでも聴くことができる。だから『PAINKILLER』で加味された要素といっても、それ(スコット)ぐらいだったんじゃないかな。あとは「ゴリゴリのメタルがやりたい」という気持ちがあった…という、それだけのことだと思う。そしてそれは、恐らくジューダス・プリーストのファンにとってはあまりにも大きな一歩の前進だったんだろう。つまり大半のプリースト・ファンにとって、『PAINKILLER』は早過ぎたということさ。でも、当時の大勢の若いメタル・ファンには気に入られたようだね。
そういえば、今言ったことの裏付けになるような出来事が当時起こったよ。『PAINKILLER』に伴うツアーに出る際、確かメガデスをサポートに迎えてカナダを皮切りにサーキットを開始したんだけど、あの時、当初はニュー・アルバムから5曲はプレイしたはずだ。ところが、それから1週間もすると(新曲の)数が減りだして、セットからどんどん外されていき、最終的にあのアルバムからは2〜3曲しかやらなくなってしまった。つまり、あのアルバムにすぐ馴染めなかったオーディエンスからのウケが悪かった…ということだね。まぁ国によって反応はまちまちだったが、カナダとアメリカではそうだったんだよ。ファンはみんな「You’ve Got Another Thing Comin’」( ’82年『SCREAMING FOR VENGEANCE』収録)や「Living After Midnight」(『BRITISH STEEL』収録)、「Turbo Lover」( ’86年『TURBO』収録)などを求めていたんだろう。そんな彼らにとって『PAINKILLER』は、きっとヘヴィネス過多でハードなエッジも効き過ぎていたんだよ。だからみんな、アルバムが理解できるようになるまで時間がかかったんだ。後年になって『NOSTRADAMUS』( ’08年)でも同じことが起きた。あのアルバムは今後も時が経つにつれ、より評価が高まっていくと思う。そう──これからさ!