チルドレン・オブ・ボドムに続く音楽表現の場として、アレキシ・ライホが生前に魂を込めて制作を続けていたボドム・アフター・ミッドナイトの作品が、『PAINT THE SKY WITH BLOOD』として去る4月23日にリリースされた。ヤング・ギター2021年6月号ではこのEPに収録された珠玉の3曲にまつわるエピソードを、最後の相棒であるダニエル・フレイベリ(g)に詳しく語ってもらっている。ファン必見の内容はそちらで読んでいただくとして、ここでは誌面スペースの都合で入り切らなかった部分を掲載しよう。ネイルダウン、ノーサー、チルドレン・オブ・ボドム…と渡り歩いてきたダニエル自身のキャリアについて、簡単にではあるが振り返ってもらった。
アレキシの方から話しかけてくれたのが知り合うきっかけに

YG:あなたにインタビューさせてもらうのは本誌では初めてなので、基本的なことを改めてうかがわせてください。そもそもギターを弾き始めたきっかけは?
ダニエル・フレイベリ(以下DF):確か1992年だったから、僕が10歳のことだ。ガンズ・アンド・ローゼズの「You Could Be Mine」(1991年『USE YOUR ILLUSION II』収録)のビデオをテレビで観たんだよね。それに心を打たれて、ギターを弾くようになったんだ。
YG:では、初期の頃に影響されたギター・ヒーローはスラッシュだったわけですね。
DF:もちろん! あの頃から今でも、ガンズ・アンド・ローゼズが大好きなんだ。そしてその後すぐ、今度は僕の耳にメタリカが入って来た。
YG:なるほど。当時、他にインスパイアされたバンドやギタリストというと?
DF:小さい頃はグラム・メタルが大好きだったんだ。モトリー・クルーとか、ラットのウォーレン・デ・マルティーニとかね。彼のことは今も大好きで、本当に素晴らしいプレイヤーだよね。あとグラム時代のアリス・クーパーのギタリストで、『HEY STOOPID』(1991年)で弾いていたステフ・バーンズはとても上手いプレイヤーなんだ。「Might As Well Be On Mars」での彼のソロが大好きだ。というか、彼が弾いたソロは全部好きだな。あの作品はいわばオールスター・アルバムで、スティーヴ・ヴァイやサトリアーニやスラッシュも参加していたんだ。それもあって、『HEY STOOPID』が昔から特にお気に入りなんだよ。
YG:あなたはもともと、ネイルダウンのギタリストとして2005年にデビューしていましたよね。あれが初めてのプロフェッショナルなバンドだったわけですか?
DF:そうだね、最初の本格的なバンドと言える。それ以前もいくつかのバンドでセッション・プレイヤーとしてやっていたけど、ネイルダウンは僕自身が始めたバンドだった。アルバムではギターと、それにヴォーカルも担当したんだ。いいシンガーが見つからなかったんで、誰かがやらないといけなかったんだよ(苦笑)。でもその後、歌うのはやめたんだけどね。僕には合わなかったんだな。歌うのは好きだけどテクニックがなかったし、そもそも上手くなかった。比較的遅くに始めたんでね。
YG:あのバンドのことを振り返って、自分では改めてどう評価します?
DF:う〜ん、しばらく聴いていないからなあ。やっていたことを後悔はしていないし、誇りにも思っているけど、あれから15年経って思い返すと、今とは違う自分があの時はいたなと思う(笑)。今の僕が自分のバンドの曲を書いたら、かなり違うものになるだろう。似通ったところも出て来るだろうけどね。でも当時はあれがベストだった。そういった意味では満足しているよ。ミュージシャンとしての腕も、曲作りの能力もね。
YG:またノーサーのギタリストとして、アルバム『CIRCLE REGENERATED』(2011年)も作っていますが、あの作品のことを振り返ると?
DF:あれは一番後悔しているアルバムなんだ。ネイルダウンは満足だったんだよ、特に2ndアルバム(2007年『DREAMCRUSCHER』)はプロダクションも何もかもが素晴らしかった。でもノーサーはそうじゃなかった。あのアルバムは出来上ったものよりもデモの方が良かったよ。完成した『CIRCLE REGENERATED』だと、曲の魅力が十分に伝わって来ない。良さを最大限に引き出すことが出来なかったんだ。とはいえ、ノーサーにいたこと自体は後悔していないよ。素晴らしい時を過ごすことが出来たから。元メンバーの奴らとは今でも友達だしね。
YG:その後チルドレン・オブ・ボドムに加入することになるわけですが、その経緯を簡単に振り返ってもらえますか?
DF:2015年にアレキシからメールをもらってね、アルバム『I WORSHIP CHAOS』(2015年)のギャング・シャウトを一緒にやってくれないかと頼まれたんだ。ちょうど彼らはあのアルバムのレコーディングの真っ最中だったんだよね。僕はもちろん引き受けて、楽しいひとときを過ごすことにした。彼は家まで車で迎えに来てくれたよ。そしてリハーサル・スペースに向かう途中、「ローペ(ラトヴァラ/g)がバンドをやめたんだ」って、状況を説明してくれた。ヤンネ(ウィルマン/key)の弟のアンティがとりあえず助っ人としてしばらくの間入ってくれるけど、その間に正式メンバーのことを考えなきゃいけないんだ…って。で、僕はアレキシに「僕に何か出来ることがあったら、言ってくれ」と言ったんだ。彼は何も言わずに、運転しながら僕の方を見て微笑んだだけだった。
その後、同じ年の秋にまたアレキシからメールが来て「やる気はある?」と訊かれたんで、かなり驚いたよ。あれからもうずいぶん時が経っていたし、どこかのインタビューで「ギタリストはもう99%決まっている」ってアレキシが言うのを読んだからね(笑)。あれは嘘だったんだな。僕はもちろん「やるさ! どうすればいいんだい?」って答えたよ。当時彼らはツアーの最中だったんだけど、彼は僕に「チルドレン・オブ・ボドムの曲をいくつかプレイして、映像を送ってくれ」と言った。で、メールを送って、返信が来て…「おまえに決まりだ」ってことになったんだ。
YG:そもそもそれ以前、アレキシとはどのようにして知り合ったんですか?
DF:彼とは2005年にとあるバーで出会ったんだ。僕たちは以前、同じレーベルに所属していたんだよ。チルドレン・オブ・ボドムもネイルダウンもスパインファーム・レコーズと契約していてね。彼らのオフィスがヘルシンキのダウンタウンにあったんだけど、その隣にバーがあったんで、そこにアーティストやレーベル・スタッフがたむろしていたんだ。で、たまたま僕たちは同じ時にそこにいたんだよ。お互い別々のテーブルに座っていたけど、驚いたことにアレキシの方から僕たちに話しかけて来たんだ。そんなに有名じゃなかった僕たちのことを、彼はたまたま知っていたんだな。もしくはネイルダウンにちょっと目をつけていたのかもしれない。それでみんなに酒をおごってくれて、バーで楽しいひとときを過ごした。彼とはそうやって知り合ったんだ。
YG:チルドレン・オブ・ボドムでの活動は、あなたにとってどんな経験でした?
DF:あれはおそらく人生最良の日々だったよ。あんなに早く終わってしまって…悲しいね。少なくともあと10年はツアーして、音楽を作ることが出来たバンドだったのに。チルドレン・オブ・ボドムにいなかったら、おそらく行くこともなかったような場所でプレイできたし、僕のキャリアにとっては大きな飛躍だった。僕を信頼してくれたあのバンドに、とても感謝しているよ。

INFO

『PAINT THE SKY WITH BLOOD』/BODOM AFTER MIDNIGHT
2021年発表