9月20日に発売を控えたマイケル・シェンカーの最新作『MY YEARS WITH UFO』。当ページでは、現在発売中のヤング・ギター2024年10月号における同作を中心としたマイケル・シェンカー特集のインタビュー記事から、1970年のアルバム・デビューから50年超に亘ってバンドのフロントマンを務め、全キャリアをその目でつぶさに見てきた“生き証人”フィル・モグのインタビューの一部をお届けしよう。
2019年にフィル・モグがUFOの活動50周年ツアーをもってバンドから脱退する旨を発表した際、その後もミュージシャンとしての彼のキャリアが続くことを、果たしてどれくらいの人が予想できたであろうか? しかも2022年8月にはモグ本人が心臓発作を発症し、50周年ツアーは千秋楽を待たずして終了。シェンカーより7歳も年長であるモグの体調・体力を考えれば、このまま引退…と考えるのが至って自然な発想であったのではなかろうか。
だが、そんな予想を裏切ってモグは帰ってきた。自らの新バンド:モグズ・モーテルを率いて…。近年のUFOを陰で支えていたトニー・ニュートン(b/ヴードゥー・シックス、他)と、UFO最後のラインナップに名を連ねた旧知のニール・カーターの助けを借りて完成させた最新アルバムのこと、UFOからの脱退を表明するに至った経緯、往時のUFOの両輪を共に担ったマイケル・シェンカーとの関係……訊きたいことはたくさんある。早速、老いても気力充分なモグに質問をぶつけることにしよう!
UFOは少し堂々巡りしているような感じだった
YG:UFOは2019年に50周年ツアーを開始したものの、2022年8月にあなたが心臓発作に見舞われたことで最終公演を残して活動を停止しました。その時点であなたはそのまま引退してしまうのだろうと考えていたファンは少なくないと思いますが、こうして新たな音源を届けてくれたことにまずはいちファンとしてお礼を言わせてください。
フィル・モグ(以下PM):ありがとう!
YG:ちなみに現在の体調はいかがですか?
PM:まだここにいるよ(笑)。大丈夫。ラッキーだったと思う。知っての通り、私達はポール・レイモンドを心臓発作で亡くした。ピート(ウェイ)は別の道を選んで、階段から落ちた。だから、私はとてもラッキーだと思っている。間一髪で助かったんだからね。今のところは大丈夫だ。
YG:それを聞いて安心しました。当初あなたはバンドからの脱退を表明していたわけですが、同時にあなた抜きのバンドが存続することに懐疑的でもありましたね。実際、残ったメンバーもあなたのいないUFOを続けようとは思わなかったんですよね?
PM:そうだね。私が辞めたかった理由は、UFOは…何と言えばいいのかな、少し堂々巡りをしていたと思うんだ。サーキットを廻っていただけで、それ以上のことがなかった。私はただただ同じところをグルグル回っているようなバンドにはいたくなかった。そうしているバンドは多いし、そういうものなんだろうけど、私は辞める時が来たと思ったんだ。そして、私はそのことを他のメンバーに言った。そうしたら彼らは、「そうだね、分かった」と言ったんだ。やりたいと思ったら別のシンガーを入れてまたやるチャンスが彼らにはあったけど、彼らはそうはせずに「分かった」と言ったのさ。そうして、2019年にUKから始まったツアーを終えたんだよ。あれが最後のツアーになったんだ。すべて友好的なもので、私達はいまだに仲のいい友達だ。そういうことだったんだよ。
YG:ピート・ウェイが亡くなったこともあなたが辞めた一因だと思っていたのですが…。
PM:いや、それはなかったが、ピートがバンドを出たり入ったりしていた頃、彼は酒などの様々な問題を抱えていた。そしてついにピートがバンドを辞めると、バンドにかなりの穴が空いたんだ。彼はメチャクチャだったが、バンドのスピリットの多くを担っていたからね。だからピートが辞めたことによって、バンドの個性が若干薄まってしまった。彼が辞めてしまってから、私は素晴らしい気分にはなれなかったけど、バンドを続けてもう何枚かアルバムを作った。最初は気づかなかったんだが、そのうち「なんということだ! 何かが欠けている」と思ったんだ。
YG:UFOからの脱退を決めた時点で、すでにモグズ・モーテルの構想はあったのでしょうか?
PM:違う感じの曲をやりたかった。他の人達と曲を作ってちょっと違ったことをやりたかったんだ。それはずっと私の心の片隅にあった。歌詞の断片は常にメモっているんで、「この曲はこうしたいな」といったことを考えながら、違うやり方で何か違うことをやりたいと夢見ていたんだ。そんな折、偶然トニー(ニュートン)と出会ってね、「こういうことをやろうとしているんだけど」と私が言うと、彼が「僕にもアイデアがあるよ。聴いてみるかい?」と言った。要は、そこから始まったんだ。その後ニール(カーター)が現れて、「おい、俺にもアイデアがあるんだ!」と言った。そうして雪だるま式に膨らんでいき、単なる会話から曲作りやレコーディングへと発展していった。とてもゆっくりなプロセスだったけどね。レコード会社も関与していなかったし、資金を調達してくれる人もいなかった。私達だけでやっていたんだ。最初にバンドを組んだ時のような感じだったよ。みんなでガレージに行ってプレイを始める、みたいなね。あの頃に戻った感じだったよ。…
続きはヤング・ギター2024年10月号でお楽しみ下さい!