ホントは、今からでも生徒になって学びたい
YG:本土進出後は、沖縄から拠点を移す話もありましたか?
GG:話はありました。レコード会社から「東京でやらないか」と。でも、メンバーはみんな「NO」と。
比嘉:自分らは店(ライヴハウス)を経営してるし、それで生活をやってきてるのもあったから。東京に引っ越すなんて考えたこともなかった。
YG:当時は、東京以上に北海道で人気があったとか?
GG:そう、札幌で人気がありましたね。何故か、北と南でね(笑)。どうしてか分からないけど。
比嘉:札幌の厚生年金会館(現・ニトリ文化ホール)でやった時は、松山千春も一緒だったね。まだデビューしたばっかりの頃で。
GG:当時は、他のバンドとかグループとかに、少しは影響を与えたかな…と思います。
比嘉:あまり実感はないけどね。そもそも沖縄には、(音楽)学校もないし。自分らは全部、耳コピでやってきたから。楽譜も使ってないし、当時はビデオもまだ普及していないし、(周りは)「この人達はどうやって(音楽を)勉強してきたんだろう?」って思ってたかもしれない。
GG:僕は、中学から高校3年になるまでブラスバンドでトロンボーンをやってたんですよ。で、ブラスバンドだと譜面があるからその通りに吹けばイイけど、外国のロックは耳コピするしかないよね。子供の頃は貧乏で、CDは勿論、レコードもカセットもなくて、ラジオで流れてくるのを「どうやってるのかな?」って、耳でコピーしてました。
比嘉:アメリカの兵隊から「この曲をやってくれ」と言われることもあったね。だからレッド・ツェッペリンなんかは、まだ本土でレコードが出回ってない時期に彼等が持ち込んできて、「これやってよ」と。「雰囲気の違うバンドだな」と思ったけど、とりあえずコピーして…ということもありました。
GG:そもそも、誰からもギターは習ってないから、独自の練習法で(習得していった)。
比嘉:みんなそうだったよね。
GG:まぁ、音楽的にはブラスバンドで培ってきたモノがあったから、それだけでここまでやってきたんです。だからホントは、今からでも生徒になって学びたい(笑)。
比嘉:いや、本当にそんな気持ちですよ。
GG:アメリカに行って、音楽を学んできた…という人もいたけどね。僕は武蔵野音大が憧れだったな。
比嘉:自分らには、そういう機会は全くなかったからね。(当時の)沖縄にはそういう学校は全くないし、教えてくれるところもない。もう全部、独学ですよ。
GG:三線だけだね、教わることが出来たのは(笑)。
比嘉:そう、三線はね。
GG:自分らでは弾かないけど。
比嘉:うん。でも、聴くのは好きですよ。
YG:ただ本土のバンドからすれば、毎晩アメリカ人の観客を前にライヴが出来るなんて、憧れだったんじゃないですか?
比嘉:そういう話が出たこともあったけど、(関東にも)福生とかあるから、そういった基地の周辺にはバンドがいっぱいいて、ライヴが出来るところもあっただろうし。沖縄は中部のコザに、B.C.ストリートとゲート・ストリートというのがあって、そこはもう2軒に1軒はバンドが入ってて。
GG:当時はね、フィリピンのバンドも来てました。
比嘉:あと、アメリカ人のバンドもいて、そんな風に外国人がいっぱいいる中でやってきたんですよ。ただ、バンドが沢山いるから、最初の頃は、よく(お店から)クビにされましたね。やっぱり流行りがあるでしょ? R&Bが流行ってる時は、自分らみたいな(ロック・)バンドは「お前らうるさいから帰れ!」みたいなこと、しょっちゅう言われてましたね。でも、だんだん流行りの音楽も変わってきて、R&Bよりもロックの人気が出てきたら、そこから良くなっていきました。
GG:元々、外国人が好きな曲を外国人のお客さんの前で演奏する…というのが目標だったからね。
比嘉:ギャラは安かったけどさ(笑)。月に1200ドルの売り上げがあっても、1050ドル持っていかれて、バンドのギャラは150ドルだけ。例えば5人で分けたらひとり30ドルにしかならない。
YG:その頃はまだ米ドルを使っていたのですよね?
GG:そうそう。当時はね、1000ドルで家が建てられたんですよ。そんな時代だったですね…。
YG:’70年代当時の沖縄では、ギターは楽器店に行けば何でも手に入りましたか?
比嘉:そうだね。
GG:ギブソンもフェンダーも、何でもありましたよ。
比嘉:18歳の時、最初に買ったのはモーリスのセミアコだったけどね。ギブソンの“ES-335”みたいな格好をしてるのを使い始めて。
GG:僕は…高3の時かな? ベンチャーズをやろう…ということになって、親父のところでバイトして、那覇からコザまでバスでやって来て、質屋でトンボという(メーカーの)ギターを買って、それが最初でしたね。トンボのギターは45ドルだったかな。一般のサラリーマンの(1ヵ月の)給料が40〜50ドルぐらいだった時代。
比嘉:自分は、そのあとに買ったのがストラトキャスターで、320ドルでした。
GG:僕がトンボのあとに買ったのはギブソンの“ES-335”で、380ドルだったかな?
YG:当時は固定相場制ですよね?
GG:そう。1ドルは360円。
YG:当時としては、相当に高い買い物だったのでは?
比嘉:そうだね。
GG:その“ES-335”は今もまだ持ってます。その1台だけは大事に。他のはもう、5〜6本あったのは全部売ってしまったんだけど。
YG:GGさんは、ストラトのイメージですが。
GG:うん、そうかな。最初は“〜335”で、ちょっとギブソン・レスポールを使ってたこともあるけど、まぁ殆どはストラトですね。
YG:清正さんも、最近はストラト・シェイプをよく弾いているイメージですが、以前はレスポールも弾いていましたね?
比嘉:21歳の時かな。
GG:昔の写真を見ると、レスポールを使ってた時のがあるね?
YG:ライヴ・アルバム『BACK TO THE ROOTS』(’98年)のブックレットにも(レスポールを弾く比嘉の写真が)ありました。’90年代にもレスポールを弾いていた…と。
比嘉:ああ、そうだったなぁ。
YG:アンプはどうですか?
比嘉:ずっとマーシャル。
GG:そうだね、マーシャルだった。当時ね、ジョージと城間の俊雄がイギリス領だった香港へ行って、マーシャル2台とハモンドとレズリー(・スピーカー)を買ってきた。マーシャルを使ったのは、その時が初めてだったな。
比嘉:それは自分が紫に入るずっと前のことだけど、みんな香港で機材を買ってましたね。
YG:マーシャルは沖縄では手に入らなかった?
GG:いや、(沖縄では)高くて手が出なかった。それで、「向こう(香港)は安いよ」という話を聞いて。実際、コッチ(沖縄)へ運んできて、税金を払ってもずっと安かった。
73でもまだイケるから、若い人も頑張って欲しいな
YG:今回の“再現 1977”ですが、演目も’77年当時の再現をやるのでしょうか?
GG:まだどういう曲をプレイするのか決まってないんですよ。ジョージは何か考えてるかもしれないけど。当然、初期の紫のオリジナル曲──(’77年)当時、高校生だった人は、もう60代になってるから、そういう人達が「ああ、懐かしいな」と思うような曲はやりつつ、多分、新しい曲もやることになるんじゃないかな。もうあれから45年以上、経ってるんですねぇ…。
YG:映画『紫〜MURASAKI〜』では、新曲に取り組む様子が観られましたが、次のアルバム用の曲はどれぐらい完成しているのですか?
GG:まだ“これから”だよね。
比嘉:4月の終わりか、5月に入ってからレコーディングを始める予定なんで。
YG:それぞれ新曲を書いている最中ですか?
GG:いや、今度の(アルバム)はないかなぁ。(メイン・ソングライターは)ジョージとChris(b)かな?
比嘉:自分は2〜3曲書いたのがあったんだけど、今回ジョージとしては、「俺が中心で」というのがあるのかもね。あと、Chrisにもストックがあるみたいで。まだ、最終的にどうなるか分からないけど。
GG:僕にもまだレコーディングしてない曲があって、「井戸」というんだけど、これは──僕が6歳の時に亡くなった母親が、井戸の水を飲んでから亡くなった…と、隣のおばさんから聞いていたんで、これは曲にしないといけないな…と思って書いた曲です。今、Chrisに預けてあるんで、彼がアレンジしてくれるかもしれない。
YG:バラードでしょうか?
GG:そう。一度、宮古島でライヴをやった時に弾いたんだけど、観ていたお客さんが泣いてました。僕は母親の顔も憶えてないからね。写真も1枚もなかったし。宮古テレビのディレクターさんのお母さんが、僕の母親と同級生で、「中学まで一緒だったよ」って言ってくれて、「写真はありますか?」と訊いたんですけど、やっぱり1枚もない…ということでした。それもあって、曲にしようと。
YG:それは是非、ニュー・アルバムで聴きたいですね。
GG:うん。入れたいとは思ってますよ。
YG:ちなみに、「Mother Nature’s Plight」に琉球民謡を導入したキッカケというと?
GG:キッカケというか、「紫は沖縄のバンドなんだ」ということを、本土の人にも知ってもらおう…と思っただけです。それで、「なんた浜」という曲を入れたら…と。この曲も、哀しい曲なんですよ。それで、ジョージに話して。
YG:最近ヨーロッパでは、フォーク・メタルと呼ばれる、その国の民謡なんかをHR/HMに組み込んだバンドが人気なんですけど、紫はその先駆けとも言えますね?
GG:そういうことは思ってなかったな。この「Mother Nature〜」はスローだから、「なんた浜」を入れてみようかな…と、ただそう思っただけだから。
比嘉:でも、あの中間に入れたのは良かったね。斬新だったし、「やるべきだ」と思いました。
GG:演奏はヘタなんだけど(笑)、最高の曲だから、失礼のないように…と思ってプレイしましたね。
YG:今度、“再現 1977”で「Mother Nature〜」をやる時は、是非またエイサーも入れてやってください。
比嘉:いや〜、体力的に無理じゃないかな?(笑)
GG:あの時(’77年)は、清正と僕で大太鼓を叩いたんだけど、今はもう…ね(笑)。
比嘉:パーランクー(小太鼓)ならまだしもね。
GG:もしやるとしたら、エイサーの青年団を連れてきて、ゲストで…というのなら出来るかな?
YG:イイですね〜!
GG:あと、僕の孫──今、高校生なんだけど──がダンスをやってるから、2〜3曲で何か踊ってもらうのもイイかな? ジョージもそれは考えてるみたいです。
YG:現在のお2人のメイン・ギターを教えてください。
比嘉:自分はシャーベルをよく弾いてるんだけど、メインという感じではないかな? ただ、レスポールも弾くけど、もうジジィだから、ちょっと重たいんだよね(苦笑)。他にアイバニーズも持ってて、再結成後の2枚目(’16年『QUASAR』)は、殆どの曲をアイバニースで弾きました。
GG:僕はストラトですね。今、7本か8本持ってて、最初のレコーディングで使ったストラト──’65年か’66年製のもまだ持ってます。今はリペアに出してるんだけど、完全に直ってくるまでに3〜4年はかかるみたい。
比嘉:自分もレスポールを(リペアに)出して、もう10年ぐらい戻ってきてないなぁ。もしかして、売っ払われてしまったのかな?(笑)
GG:そういうヤツがいるからね〜(笑)。
YG:では最後に、“再現 1977”に向けてそれぞれコメントをお願いします。
GG:45〜46年振りだから、是非みんなとまた楽しみたいですね。お客さんもみんなで、幸せな時間を共有しましょう。
比嘉:自分は今、73歳なんだけど、73でもまだイケるから、若い人も、もっと頑張って欲しいな(笑)。
YG:まだまだ活動し続けていってください。
比嘉:もう全然やりますよ。
YG:ニュー・アルバムも楽しみにしています!
ライヴ・イベント“再現 1977〜日本のロックの夜明け前〜” 概要
イベント・タイトル:祝・日比谷野音100周年 再現1977〜日本のロックの夜明け前〜 HOT STUFF 45th ANNIVERSARY
出演アーティスト:Char、BOWWOW G2、紫
日程 :2023年8月19日(土)
会場 :日比谷野外大音楽堂
開場 16:00 / 開演 17:00
チケット料金(税込):
プレミアムシート(パンフレット付き):15,000円(税込)
指定席: 10,000円(税込)
アーティスト公式インフォメーション:
Char
BOWWOW OFFICIAL SITE
山本恭司
MURASAKI OFFICIAL WEBSITE
イベント公式ウェブサイト
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