ヤング・ギター2022年4月号では、没後40年となるギター・ヒーロー:ランディ・ローズの大特集を展開している。誌面にはランディを知るバンド・メンバーや友人、オジー・バンドの歴代ギタリスト、後続のギター・ヒーローたちがランディについて語る独占インタビューを掲載しているが、YGウェブでは誌面未掲載となる3名のインタビューをお届けしよう!
トライブ・オブ・ジプシーズのギタリストにして、一時期メタルから離れていたブルース・ディッキンソン(アイアン・メイデン)やロブ・ハルフォード(ハルフォード、ジューダス・プリースト)らをあるべき音楽性に復帰させた“メタル再生人(プロデューサー)”としても知られるロイ・Z。2000年にリリースされた『RANDY RHOADS TRIBUTE』では、ジェイク・E・リーやジョージ・リンチ、ダイムバッグ・ダレル、クリス・インペリテリらトップ・ギタリストたちに混じって(ロイは「Goodbye To Romance」に参加)、文字通りランディへの敬意溢れるプレイを聴かせていた彼もまた、この “永遠のカリスマ”を信奉する1人だ。2014年から開催されているトリビュート・コンサート“Randy Rhoads Remembered”にも度々参加しているロイに、ヒーローであるランディについて語ってもらった。
ヴァイオリニストのように流麗で、とてもリリカルだ
YG:初めてランディ・ローズのことを知ったのはいつでしたか?
ロイ・Z(以下RZ):近所にヘヴィ・メタルやハード・ロックが好きな友人がいてね、ソイツが『BLIZZARD OF OZZ』(1980年)を聴かせてくれたんだよ。「ブラック・サバスを辞めたオジーの新しいアルバムだぞ!」なんて言ってね。アルバムを聴いて俺たちは、「うわぁ、これはヤバい!!」なんて興奮していたよ。「一体、これは何なんだ!?」って。当時、すでにヴァン・ヘイレンは世に出ていたけど、これはまたヴァン・ヘイレンのようでちょっと違う──ギターがより一層特別に感じられたんだ。
YG:ちなみに、クワイエット・ライオット時代のランディについては?
RZ:クワイエット・ライオットのことは知っていたけど、彼らがL.A.でプレイしていたのは俺よりひと世代前のことだったし、アルバムもアメリカでは入手できなかったから、当時のランディをリアル・タイムで観たり聴いた聴いたりしたことはなかったね。
YG:『BLIZZARD OF OZZ』におけるランディのギターについてもう少し詳しく聞かせてください。特に気に入っている曲やギター・プレイなどはありますか?
RZ:『BLIZZARD OF OZZ』には本当にたくさんの素晴らしい瞬間があるけど、「Revelation(Mother Earth)」を一番最初に聴いた時は、その雰囲気とヴァイブ、ギター・フレーズをとても気に入ったよ。あと、「Crazy Train」は俺が最初にギターで覚えた曲の1つだね。あの曲をプレイすることによって、リズム・ギターを弾く力がついたと思う。「Crazy Train」と「I Don’t Know」は、右手をしっかり使わなければ弾けないんだ。だから右手のいい練習になったよ。それから「Mr. Crowley」──あの曲のランディのギター・ソロは突出していたと思う。とてもメロディックかつクラシカルなサウンドで、アルバムの中で最も好きなソロなんだ。
YG:当然、2ndアルバムの『DIARY OF A MADMAN』も聴きましたよね?
RZ:もちろんだよ! 最初に「Over The Mountain」を聴いた時には、もうラジオの前でひれ伏すしかなかったね!(笑) あの瞬間のことは、今思い出しても鳥肌が立つくらいさ。その翌日、すぐにアルバムを買ったよ。で、他の曲もまた凄かった。「Flying High Again」も大好きだし、最後の「Diary Of A Madman」なんてもう大傑作だ。『DIARY OF A MADMAN』は1日中リピート、リピート、リピート…ずっと聴き続けていられるよ!
YG:ロイ自身、そうしたランディのプレイから影響を受けた面はありますか?
RZ:ああ。さっきも言ったけど、ランディの曲をコピーしたことで、ギターの技術向上に大いに役立ったよ。それは曲作りという点においても同じで、特に驚異的だと思ったのは「Diary Of A Madman」。「これは…とてつもなく凄い曲だ!」と思ったね。繰り返すけど…、あの曲は本当に大傑作だよ。ヘヴィ・メタルにクラシック音楽の影響が入っているというのがユニークだし、あのアコースティック・ギターによるイントロなんて…もはや“クレイジー”だよ!(笑) コード進行といい、ソロのフレージングといい、本当に素晴らしい。
YG:具体的に、ランディのギター・ソロはどんな点がユニークだったと思いますか?
RZ:ブルースのペンタトニックとクラシックからの影響を融合させたという点については、実のところ他にも同じようなことをやっていたギタリストはいたと思う。でも、誰もランディのような形ではなかったし、ランディのフレーズは例外的にユニークだった。ランディのフレージングはヴァイオリニストか何かのように流麗で、とてもリリカルなんだよ。それと、彼のギター・ソロというのは“ただ弾いているだけ”じゃなくて、速弾きとメロディーのバランスやフレーズの緩急…そういったことがとても考えられていたと思う。よく言われていることだけど、ランディのソロは“曲の中の曲”のようだった。そこがとても好きなんだ。
YG:ランディはリードのみならず、リフ・メイカー/リズム・プレイヤーとても卓越していましたよね。
RZ:まさしくその通り! 本当にユニークなリズム・スタイルを持っていたと思う。切り刻むような感じで、かなり正確だった。それに、音の選び方がいい。ブラック・サバスで使われていた♭5th音を上手く溶け込ませていたりね。やり方が実にユニークだった。タイム感やフレーズ感は言うまでもなく、コードとコードの間に挟まれた音を活かしたりして、とてもリリカルに弾いていた。今でも、俺にとってのオールタイム・フェイヴァリットのリズム・プレイヤーだよ。
ランディみたいな人は、物質的な豊かさを求めてはいなかったはずだ
YG:ランディが使用していたギターはどれも印象的で、ジャクソン製のVシェイプはメタル・ギターのアイコンとなりました。彼がいなかったら変形ギターの歴史も変わっていたのではないかと思いますが…、そういったギターのデザインにおけるランディの功績についてはどう思いますか?
RZ:存在感のあるギタリストは、使うギターも自分のスタイルや想像力にフィットするように作っているということだね。ランディは白いギブソン・レスポール・カスタムも有名だけど、(カール・サンドヴァル製)ポルカ・ドットV、そしてジャクソンのVシェイプも印象的だった。特にジャクソンのVシェイプは、メタル・ギターとしてまさに否定のしようがないほど象徴的なモデルだよ。あのシェイプはランディがコンコルド(超音速旅客機)に乗ったことでインスパイアされて生まれたアイデアらしいけど、見れば確かにその雰囲気がある(笑)。
ちなみに、ランディのお姉さん(キャシー・ローズ・ダルジェンツィオ)がやっているワイナリー&レストランにはランディの大きなポスターが貼ってあるんだけど、そこで彼が持っているのがジャクソンVなんだ。その印象が強く頭に残っていてね──もちろんホワイト・レスポールもポルカ・ドットVもクールだけど──俺にとってのランディのギターというと、やっぱりそのジャクソンVなんだ。
とにかく、ランディのやったことは何でもユニークだったよ。オリジネル・シェイプのギターや巨大ボードに組み込まれたエフェクト・ペダル、ホワイトのカスタム・マーシャルなどを使って、自分自身のサウンドを作り上げていたんだ。エディ・ヴァン・ヘイレンやウリ・ジョン・ロートみたいな人たちと同じように、自分だけのギターを持って、自分のやりたいことを実現させたわけさ。
YG:ちなみに、エディのサウンドは“ブラウン・サウンド”と呼ばれますが、ロイならランディのサウンドを何と呼びますか?
RZ:うーん…(笑)。ランディの音と言われて俺が想像するのは、温かみがありつつ非常にメタリックなサウンドだ。まさにヘヴィ・メタルのサウンドさ。歪み過ぎてもおらず、プレイにニュアンスを付ける際にある周波数が突出してくる。そこが際立っているんだ。それにはMXRの“Distortion +”とワウがひと役買っていたのは間違いない。
YG:ランディはオジーのバンドを辞めて、大学でクラシック・ギターの学位を取ろうと考えていたようですが、ステージを下りて学業に専念したいというランディの考えに共感するところはありますか? オジーのアルバムが売れて、バンドも好調で、誰もがランディのプレイを観ては圧倒されるような人気絶頂の時期だったのに。
RZ:ランディみたいな人は、物質的な豊かさを求めてはいなかったはずだ。もっと音楽そのものに没頭して、そして常に成長していたかったんだろう。彼は、ツアー中にもギター・レッスンを受けていたというよね。良いクラシック・ギタリストを探しては、その人からレッスンを受ける。凄くクールなことだと思うね。彼にとって、音楽やギターというのはヘヴィ・メタルだけじゃなかったのさ。
YG:ランディの事故死をどんな状況で知ったか、憶えていますか?
RZ:あの時、俺は友達と一緒にいて、そのことをラジオで聞いたんだ。「ギタリストのランディ・ローズが飛行機事故で亡くなった」と報じていたよ。俺たちはみんな「えっ…!?」という感じで、しばらく何が起こったのか理解できずにいたよ。ラジオからはオジーの曲が流れてきて、それからまたランディが亡くなったという報せが繰り返された。ただただ、ショックだったよ。地元のヒーローがいなくなってしまった…って。落ち着くまでに、ちょっと時間がかかったね。それからしばらくは、心が空っぽになってしまった。今でも、ランディの音楽を聴くと「もし彼が生きていたとしたら、今ごろは何をしていただろうか…」と思いを巡らせることがあるよ。
YG:インタビューなど生前のランディの証言などはあまり多くなく、ミステリアスな部分も残っていると思います。彼のプレイやサウンド、考え方についてランディ本人に確かめたい、教えてもらいたいと思うことはありますか?
RZ:「ギターのレッスンをしてください!」って言うよ(笑)。「あなたのフレーズと、そこに至るまでの過程を教えてほしいんです」ってね。ランディからレッスンを受けたジョー・ホームズ(元オジー・オズボーン・バンド)は俺の良い友達で、とても素晴らしいギタリストだ。あと、チェット・トンプソンもそう。彼らはランディの教えを受けたということがよく分かる、とても型破りなプレイをしているよね。
YG:没後40年が経った今もなお、ランディの音楽は色褪せずに世界中で愛されています。それはなぜだと思いますか?
RZ:彼自身が素晴らしいプレイヤーであるだけでなく、彼のフレーズもまた記憶に残る素晴らしいものだ。一度聴けば、一緒に口ずさむことができて、ずっと頭の中に残る。そういうフレーズや音楽を作れる人は多くない。最近では「プルルルルルルル!!」というようなフレーズばっかりだろ?(苦笑) でも、ランディのプレイはテクニックだけじゃなく、サウンド、フィーリング、フック、あらゆることで見事に形成されているんだ。まさに、ヘヴィ・メタル・ギター版“マウント・ラシュモアの石像モニュメント”(註:米サウスダコタ州ラシュモア山には米国史に名を残す4人の大統領の巨大な頭像が彫られている)になるような人物だよ。まさに、ランディは偉人の中の偉人だ。だからこそ、彼の音楽はずっと色褪せないままなんだよ。
ヤング・ギター2022年4月号には、ランディ・ローズ没後40年を偲んで総勢13名のギタリストや関係者へ行なった最新インタビューを掲載。WEB限定記事の3名(随時更新)と合わせてチェックを!