アンドレ・マトスの遺志を継ぐシャーマン新作『RESCUE』を、ヒューゴ・マリウッティが語る!

アンドレ・マトスの遺志を継ぐシャーマン新作『RESCUE』を、ヒューゴ・マリウッティが語る!

世界中のファンが悲嘆に暮れたアンドレ・マトス急逝から間もなく3年──ブラジルの至宝:シャーマンが堂々復活! しかも、ヒューゴ(g)とルイス(b)のマリウッティ兄弟、リカルド・コンフェッソーリ(dr)というオリジナル・メンバーが再結集して…!!

アンドレの後任に迎えられたのは、元エイジ・オブ・アルテミスでソロ・シンガーとしてもキャリアを築いてきたアリリオ・ネット。そこにANGRA、シャーマン、そしてバンドとしてのアンドレ・マトスでプレイしてきた鍵盤奏者:ファビオ・ヒベイロが加わり、新生シャーマンは’19年秋にスタートを切った。その後、’20年に母国ブラジルで心機一転となるツアーを行ない、コロナ禍以降も配信ライヴなどで、世界中のファンに復活をアピールしてきた彼等は──先日、満を持して通算5作目となる復活アルバム『RESCUE』をリリース! そこには、プログレッシヴでエキゾティックで、シャーマンならではのメロディック・メタル・サウンドがたっぷり封じ込められていた。

では、すべてのファンが待ち望んでいたバンド再生はどのようにして実現に到ったのか? ニュー・アルバムの素晴らしい仕上がりについても含め、ヒューゴ・マリウッティを直撃した…!!

悲しくて、俺は未だに信じられないんだ

YG:アンドレとあなたたち:マウリッティ兄弟は、セカンド・アルバム『REASON』(’05年)リリース後、揃ってシャーマンから脱退しました。ところが、’18年にオリジナル・メンバーの再結集が実現し、リユニオン・ツアーが行なわれます。この時、どのような経緯でかつての絆が復活したのですか?

ヒューゴ・マリウッティ(以下HM):一番の理由は、ファンのためだった。みんなから「いつ戻ってくる?」「戻ってきてくれ!」と、ずっと言われ続けていたからね。それで、12年振りに「一緒にプレイしてみよう」ということになり、リハーサルを行なってみたら、とても良い雰囲気でね。正直な話、凄く良いエネルギーが感じられたから、俺たちはツアーに──再結成ツアーに出ることにしたんだ。でも、ちょっと奇妙でもあったな。12年も経ていたのに…ね(苦笑)。

シャーマン2018年リユニオン・ツアーのフライヤー
シャーマン 2018年リユニオン・ツアーのフライヤー

YG:ところが、翌年も続いたそのツアーの途中で、あの悲劇が起こり……。

HM:ああ…。あれは週末のことだった。自宅で息子と一緒に過ごしていたら、電話がかかってきたんだ。最初、その知らせに俺は、とても本当のことだとは思えなかった。信じられなかったよ。兄のルイスにも、「フェイク・ニュースに違いない」と言ったぐらいさ。でも、それから5分後にアンドレの携帯電話に電話を入れても、誰も出なくて…。すると、しばらくして彼の家族から連絡がきた。ただただ悲しかったよ。アンドレとは20年間、ずっと一緒にプレイしていたから…とてもショックだった。とにかく信じられなくて、そんなことが起こるなんて──俺は未だに信じられないんだ…。

YG:お察しします…。アンドレとのリユニオン・ツアーの際、ニュー・アルバムの計画も進められていたのでしょうか?

HM:まずは1曲だけレコーディングしてみよう…という話はしていたよ。どうなるか、試してみるためにね。ツアーに向けて色々と話し合っていた時、スタジオに戻ったらどうなるか、良いエネルギーがあるかどうか、1曲だけレコーディングしてみて様子を見よう…という話が出たんだ。でも、それを実行に移す機会は訪れなかった。あの悲劇によって…。

シャーマン2019年アヴァンタジアとの公演フライヤー
アンドレ・マトス最後のショウとなった、トビアス・サメッツ・アヴァンタジアとの2019年6月2日サンパウロ公演フライヤー

YG:シャーマンでリユニオン・ツアーを行なう前、あなたとルイスは、アンドレ・マトス名義のバンドで活動を行なう傍ら、HENCEFORTHを復活させたり、アンドレが出戻ったヴァイパーでもプレイしていましたね?

HM:うん。でも、ずっとアンドレとのバンドが最優先だったよ。ヴァイパーでは、’12年にツアーをやったんだっけ? それでも、やはりメインはアンドレのソロ活動だった。アルバムも3枚(’07年『TIME TO BE FREE』、’09年『MENTALIZE』、’12年『THE TURN OF THE LIGHTS』)リリースしたしね。

ヒューゴ 赤いSGでのライヴ風景

YG:その後シャーマンは、アンドレの後任としてアリリオ・ネットを迎えます。彼のことは、以前から知っていたのですか?

HM:そうだよ。エイジ・オブ・アルテミスがシャーマンの前座を務めた時に知り合ったんだ。具体的な日付は覚えていないけど、確か’04年だったと思う。アリリオについては、その後、QUEEN EXTRAVAGANZA(クイーンのトリビュート・ライヴ/ツアー)で歌っていたことも知っていたよ。それで、俺たちから連絡してスタジオに彼を呼び、5分ほど話をしてすぐにリハーサルに取り掛かった。すると、驚くほど上手くいったんだ。

YG:当時、他にもニュー・シンガーの候補はいましたか?

HM:いや、アリリオが最初で唯一の候補だった。というのも、いま話した通り、5分ほど話をしただけで、彼が昔の曲も問題なく歌いコナせるだろうことが分かったんでね。彼はアンドレに深い敬意を抱いている。それって、俺たちにとっては最も重要なことだよ。そういった敬意と賞賛の気持ちがあることが…ね。それが(アリリオ加入の)一番の理由だった。

シャーマン2022年ラインナップ
(l.to r.) Fabio Ribeiro(key)、Luís Mariutti(b)、Alírio Netto(vo)、Ricardo Confessori(ds)、Hugo Mariutti(g)

YG:現体制では、’20年3月に新曲「Brand New Me」が先行公開されましたね? この時点でもう、新作『RESCUE』の作業は始まっていたのですか?

HM:あの時点では、「Brand New Me」をレコーディングしただけだった。あのシングルを出して、ブラジルでちょっとしたツアーをやったんだけど、パンデミックが起こってしまってね。だから、そこでまた活動を停止せざるを得なかったよ。アンドレとのリユニオンは彼の急逝でストップしてしまい、アリリオを加えてまた活動を再開させたのに、今度はコロナのせいで動けなくなってしまったのさ。

YG:「Brand New Me」公開に続き、「Turn Away」や「More」など、幾つかのライヴ・ヴァージョンがシングルとしてリリースされ、’21年には、“Lockdown Sessions”としてリモート・セッションの配信もありました。この時期、ライヴ活動は全く行なえなかったのでしょうか?

HM:ああ、無理だったよ。コロナがすべてのミュージシャンにとって悲惨な状況をもたらしたんだ。俺たちのライヴもことごとくキャンセルに追いやられてしまった。そこで、ファンのために何かやれる方法がないかと思ってね。みんなにシャーマンが戻ってきたことを知らせなきゃならなかったから。どのバンドも状況は同じだったんじゃない? 最悪の時期を過ごしていたファンに楽しんでもらうため、俺たちもできることをやったのさ。

Lockdown Sessions 再生リスト

YG:『RESCUE』収録曲の中には、アンドレが亡くなる前に書かれた曲もありますか?

HM:彼のソロ用に書いたアイデアが2つあったよ。「Don’t Let It Rain」と「Time Is Running Out」さ。それをアンドレに送り、一緒に少し進めてはいたんだけど、充分に時間を取ることができなくて、完成させるまでには到らなかった。シャーマンのリユニオン・ツアーが始まったんでね。アンドレは、「とても良いアイデアだ」「近いうちに作業しよう」と言っていたのに…。ただ、完成まで漕ぎ着けたのはあとになってからだったけど、楽曲の骨子はアンドレに送った頃からほぼ変わっていない。その他の曲は、すべてパンデミックの期間に書いたんだ。最初に書いたのは、「The “I” Inside」だったな。

YG:アルバムのクレジットには、“All music & lyrics by SHAMAN”とありますが、アリリオたちとの曲作りはどのようにして行ないましたか?

HM:ジャムでスタートした曲もあるし、俺が自宅スタジオで書いた曲も、リカルドやアリリオが書いてきた曲もあったよ。作曲クレジットを全曲バンド名義にしたのは、どれも全員でアイデアを出し合い、バンドとして仕上げたからさ。最初のアイデアを俺が出したとしても、メロディーやグルーヴといった各パートにはメンバー全員が関わっていて、みんなでベストの仕上がりにまでもっていったんだから、そうした表記にするのが一番自然だったんだ。

YG:ジャムから生まれた曲というのは?

HM:「What If?」と「The Spirit」さ。この2曲はジャム・セッションからスタートした。全員がマスクをしてスタジオに集まり、安全な距離を取ってセッションを行なったんだ。でも、そうしてメンバー全員で一緒にプレイできて良かったよ。それってバンドとしては、とっても大事なことだからね。

YG:曲作りに当たっては、サウンドの方向性や楽曲スタイルなどはあらかじめ決めてありましたか?

HM:いや、そうしたことは意識していない。ひとつのリフから始まり、みんなでプレイし、それを録音して、さらにアイデアを出し合い…という風に進めただけだ。事前に何か考えたり、意識したりすることもなく、ごく自然なプロセスだった。俺たちには“その瞬間に従う”という信念があってね。パワー・メタルであろうが、もっとシンフォニックなことだろうが、特に話し合うことはなく、すべて自然にやってきたことなのさ。