“ファスト”エディ・クラーク:レミー追悼インタビュー

“ファスト”エディ・クラーク:レミー追悼インタビュー

自分はモーターヘッドとして死ぬんだと思っていた

YG:あなた自身、モーターヘッドでのギター・スタイルが確立されたのはいつだったと思いますか?

EC:モーターヘッド以前にも何年かプレイしていたから、特にキッカケはないよ。きっと、バンドとして成長するうちに、個々のプレイ・スタイルも成長していったんじゃないかな。

YG:あなたが一番好きなモーターヘッドの曲は?

EC:「Overkill」だ。最後に3回もソロを回すところが気に入っているよ。最高のシメ方だね!

YG:モーターヘッドのライヴで一番印象に残っているのは?

EC:これは申し訳ないが、答えるのは難しいね。素晴らしいショウが沢山あったから…。まぁ、強いて選ぶとしたら、“ボマー”(※1)を設置したショウだろうな!

YG:あなたがモーターヘッドを脱退したのは’82年のことでしたが、プラズマティックスとのレコーディング・セッションが原因だと言われています。真相はどうだったのですか?

EC:ごく単純なことだよ。レミーとフィルは、俺と一緒にプラズマティックスとのレコーディングをやりたがった。ところが、中盤まで進んだところで、「くだらない! 別にモーターヘッドが関わらなくてもイイじゃないか」と思うようになってね。それがフィルとレミーをとても怒らせ、その結果、俺はもう必要とされなくなってしまったのさ。そして、バンドを去らなくてはならなかったんだよ。

YG:あなたが脱退した後のモーターヘッドをどう見ていましたか? お気に入りのアルバムはありましたか?

EC:俺はいつも、自分を含めた3人こそモーターヘッドだと思っていたから、俺がいないモーターヘッドはあまり良いとは思えなかった。だから、一生懸命バンドを追いかけることはなかったけど、レミーやフィルとはずっと友達だったよ。

YG:これであなたは、モーターヘッドの所謂“クラシック・ラインナップ”の最後のひとりとなってしまいましたね…。

EC:とても悲しいことだよ。俺にとっては、地球上のどこかで、フィルとレミーが生きていることが分かっているだけで良かったんだ。

YG:最近のあなたの活動についても教えてください。ファストウェイは、今もアクティヴなんですよね?

EC:現在、ファストウェイでリハーサルを行なっているところだ。このバンドでは、’07年に日本へ行ったよな。(※2) 今年の後半には、また幾つかギグをやることになるだろう。レミーやフィルのトリビュート・コンサートも出来たら…と考えているけど、そっちは様子を見なければならないな。

YG:アルバムのリリースはいかがですか?

EC:もう1枚ソロ・アルバムを作りたいね。幾つか曲は出来ているけど、あと数曲書く必要がある。というか、一連の出来事のおかげで、今は何もする気になれなくてさ…。

YG:では最後に──ズバリ、あなたにとってレミーとはどんな存在でしたか?

EC:兄弟のような存在だった。それはフィルも同じだ。俺達は共に沢山のことを成し遂げ、沢山のことを乗り越えていった。俺はそう感じていたよ。ずっと、自分はモーターヘッドとして死ぬんだと思っていた。もうバンドにいられないと分かった時は衝撃的だったね。この気持ちからは一生立ち直れないだろうな…。

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※1:ライヴ作『NO SLEEP ‘TIL HAMMERSMITH』(’81年)や『THE WORLD IS OURS – VOL.2』(’12年)のジャケットでも確認出来る、サード・アルバム『BOMBER』(’79年)──つまり爆撃機をモチーフにしたステージ・セット用の巨大オブジェ。

※2:“LOUD PARK 07”に出演。