「今は重点をBSRにシフトしているけど、またリジィに戻る時は来るよ」スコット・ゴーハム/ブラック・スター・ライダーズ『ALL HELL BREAKING LOOSE』

「今は重点をBSRにシフトしているけど、またリジィに戻る時は来るよ」スコット・ゴーハム/ブラック・スター・ライダーズ『ALL HELL BREAKING LOOSE』

あのシン・リジィの実質的変名バンドとして誕生し、昨年5月にアルバム『ALL HELL BREAKING LOOSE』をリリースしたブラック・スター・ライダーズ(以下BSR)。間もなく彼らの初来日公演が行なわれることになっているが、ライヴではBSRの楽曲だけでなく、リジィの名曲の数々も多数披露されるようで、ファンの注目を集めている。今回は初来日を記念し、ヤング・ギター2013年11月号に掲載したスコット・ゴーハム(g)のインタビューの未掲載パートを公開することにしよう。リジィの伝統を受け継ぎながらもリジィとは一味違う、このバンドの音楽性が成立するまでの経緯の一端が垣間見えることだろう。

 

今は重点をBSRにシフトしているけど、またリジィに戻る時は来るよ

YG:あなたとジョン・サイクス(vo, g)は’90年代からシン・リジィの名義を復活させ、ライヴ活動を行なってきました。’09年にジョンが脱退した時、現行のリジィは活動を止めるのではと思ったファンも少なくないですが、その後も続いています。「かつての名曲をプレイしてファンに届けられるのは自分の使命だ」という意識もありますか?

スコット・ゴーハム(以下SG):使命や義務かどうかはわからないけれど、リジィの曲をプレイすればするほど聴衆の年齢層が下がっていくことに気づいたし、昔からのファンからも「止めないでくれ」と言われ続けてるんだ。父親が息子を、兄が弟をショウに連れてくるようになって、リジィの音楽に夢中にさせているわけだよ。新しい聴衆を獲得しているし、昔からのファンもそのままいてくれる。それって凄いことだと思ったよ。だから、やらない方が難しいという感じになっていたんだ。

 
YG:BSR名義ではなく、これからもシン・リジィとしてのライヴ活動をする予定はあるのでしょうか?

SG:ああ、リジィが永遠に終わってしまったわけじゃない。今は重点をBSRにシフトしているけど、またリジィに戻る時は来るよ。それは(BSRには参加していない)ブライアン・ダウニー(dr)やダーレン・ワートン(key)が戻りたいと思った時だ。
 

YG:BSRとリジィの両方でフロントマンを務めるリッキー・ウォリックのソロ・アルバム『TATTOOS AND ALIBIS』(’03年)に、あなたがゲスト参加していましたよね。彼の声がリジィ・サウンドに合うのではないかという実感はその時からありましたか?

SG:いや、’03年の時点では思わなかったんだよ。ただ彼がどうやって音楽に取り組むのかが分かって、こいつといつか一緒にやれたら最高だという印象はあった。そして’10年に、その“いつか”が来たんだよ。リッキーのアルバムを一緒に作ったジョー・エリオット(vo:デフ・レパード)が、リジィのシンガーを探している俺に電話をして「リッキーのことは検討したのか?」と言ったんだ。その時俺はリッキーのことを忘れていたけど、その名前が出た瞬間、俺は躍り上がったよ。フィル・ライノット(vo, b/故人)と声域は似ているし、素晴らしいアイルランドの物語を書けるんだ。
 

YG:クレジットを見ると、ほとんどの曲をリッキーと、デーモン・ジョンソン(g)が書いていますよね? 彼らに作曲をあらかた任せて良いという信頼感があったのでしょうか?

SG:その通りだよ。このバンドには5人の優秀なソングライターがいて、中でもリッキーとデーモンは俺が曲作りを始めようと言う前から書いていたんだよ。だから俺の名前は5曲ぐらいにしかクレジットされていない(笑)。俺はフィルがいつも、バンドの全員に曲を書かせようとしていたのと同じようにしたいんだ。フィルは曲作りにおいて、バンドで唯一の影響力を持つ存在になろうとは思っていなかったんだ。
 

YG:リッキーもギターを弾きますから、彼がギターを軸に作曲することもあるのでしょうか? 特にケルティックなメロディーは、彼のアイデアに依るところが大きいのでしょうか?

SG:ああ、その通りだよ。それと歌詞をたくさん蓄えているんだ。俺がリフを考えたら、もうそれに合う歌詞を持っている、と言うんだよ(笑)。そんな風に彼は、俺たちが音楽をどんどん書いていきやすくしてくれたんだ。彼は歌詞を全部書いたので、俺たちの仕事は音楽面を完成させることだった。ベーシック・トラック、リード・ギター、ハーモニーをね。だが「Kingdom Of The Lost」は、ベーシックなコード・パターンをリッキーが考えたし、「Hey Judas」も彼がヴァースのコード進行を書いた。俺たちは主にツアー中に曲を書いていてね。バスの中にも、楽屋にも、ライヴのサウンド・チェック中も、アイデアが浮かんだら誰かを呼び出して、アコースティック・ギターで弾いて、どう思う?と意見を訊くんだ。全員で輪になって座って書くんじゃなくて、あらゆる場所でライヴな感じで曲を書けたのがクールだったな。