ウィンターサンのテーム・マントゥサーリ&アシム・セアラー、首魁ヤリ・マーエンパーとの出会いを熱弁!

ウィンターサンのテーム・マントゥサーリ&アシム・セアラー、首魁ヤリ・マーエンパーとの出会いを熱弁!

チャンスが訪れた時のために準備を整えておこうと心に決めた(テーム)

WINTERSUN - Band

YG:レッスンは受けましたか?

アシム:いや──実は、面白い話があってね。最初は独学だったけど、後にフィンランドへ移り住んだ時、テームと連絡を取り合って、テクニックを強化するために、彼からレッスンを受けていたんだ。俺がレッスンを受けたのは、唯一テームだけじゃないかな…。フィンランドに行ったのは18歳の頃で──年齢がバレちゃうけど(笑)、もう10年前だね。メタルはパキスタンにいた頃からずっと好きだった。さっき言ったディオは勿論のこと、ホワイトスネイク、レインボー、ディープ・パープルなどを聴いていたんだ。もっとヘヴィな曲も聴いていたよ。エクストリームなメタルのことさ。既にバンドもやっていたしね。とにかく、何かしら音楽に関わっていたかったんだ。

YG:パキスタンでも、英米欧のメタル・バンドが来てライヴをやることはありましたか?

アシム:ロン“バンブルフット”サールは来たことがある。でも、他はジプシー・キングスなんかで、あまりメタルらしいメタル・バンドがライヴを行なったことはないと思う。最もメタルしていたのがロン・サールだから…。実は今、ウィンターサンでパキスタンに行く計画を立てているんだ。俺の人脈があるからね。パキスタン人が加わったバンドが演奏に行く…なんて、現地でかなりのニュースになるんじゃない?

YG:そうですね! テームはいかがですか?

テーム:俺が音楽にハマったのは、TVのアニメ番組などがキッカケだった。ラジオでも、気になる曲が流れてくると、両親に「もう1回聴かせて! もう1回!」とねだっていたよ。その頃から、音楽への情熱があったんだろう。でも、学校に行くようになってからは、あまり音楽に気持ちが向かなかった。スポーツの方が楽しかったからさ。ヘヴィ・メタル系の音楽を聴き始めたのは11〜12歳の頃で、アイアン・メイデン、マノウォー、チルドレン・オブ・ボドム、それから、当時出てきたフィンランドのメロディック・メタル・バンド──ソナタ・アークティカなんかを聴いていた。あと、ナイトウィッシュの1stアルバム(’97年『ANGELS FALL FIRST』)とかね。そんな時、当時の親友がエレクトリック・ギターを買ったんだ。それで俺も「ギターを手に入れなきゃ!」と思い、2人で教え合いながら練習していったよ。最初に好きだったのは、スティーヴ・ヴァイやイングヴェイ・マルムスティーンなど、’80〜90年代に活躍した“シュレッドの神”達だね。そこからドリーム・シアターのジョン・ペトルーシなど、より幅広いスタイルを聴くようになり、フュージョン系にも足を延ばした。グレッグ・ハウ、リッチー・コッツェン、ガスリー・ゴーヴァン…なんかだ。さっき話が出たバンブルフットも聴いていたよ。

WINTERSUN - Teemu

YG:友達と教え合いながら…とのことですが、レッスンは全く受けなかったのですか?

テーム:ギターを始めて1〜2年が経った13〜14歳頃は、なかなか上達が早かったみたいで、周りからもよく褒めてもらっていたんだけど、それを励みにさらに上手くなりたくて、14〜15歳になって初めてギター・レッスンを受けた。ただ、人口5,000人の小さな村の出身だから、凄いギタリストが身近にいたワケじゃない。最初のバンドも、地元の人達とブルース・ジャムっぽいことをやっていた程度だったし…。そこで、近郊の大都市に先生がいないか調べてみたら、ファストなシュレッド曲が弾ける先生を見つけてね。その頃は週1で教わり、時にはレッスンが3時間に及ぶこともあった。独学で身に付けたおかしなクセを直してくれたのも良かったな。それまで俺は、適当にピッキングしていたから、「ピックの持ち方はこの形を保ったままで…」なんて風に、色々と基礎から教わったんだ。理論も基礎から上級までたっぷり学んだよ。何年か後になって、「ああ…先生はこのことを言っていたのか!」と納得がいくこともあったな。

アシム:うん、分かるよ。

テーム:そして16歳の時、「真剣に音楽をやるぞ!」と決心して、首都のヘルシンキへ行き、新しい学校に通い始めた。多くの偉大なミュージシャン──ストーンのメンバーなど──を輩出してきた音楽系の高校さ。ここでも音楽理論をたっぷり教わったよ。楽曲を分析したり、ギター・レッスンもやったり、同じ道を志す学生とも仲良くなれて、非常に良い経験になった。ちょうどその頃、IMPERANONという本格的なバンドに加入することも出来てね。ニュークリア・ブラストと契約し、アルバム(’04年『STAINED』)もリリースしていたバンドで、ギタリストが脱退した時、オーディションを受けさせてもらえることになったんだ。IMPERANONでは、地元でショウを行ない、プロのバンド活動とはどんなモノなのかを知り、凄くイイ経験が出来た。そして──同じ時期にウィンターサンが出てきて、すぐに大ファンになったよ。

アシム:イイね!

テーム:’03年には、エンシフェルムがギタリストを探しているというニュースを見かけた。ヤリが脱退して、ウィンターサンに専念することになったからだ。ただ、オーディションを受けたいと思ったけど、18歳以上というのが条件で、まだ16〜17歳だった俺は断念するしかなくてさ…。それで、「またこんな風に自分の大好きなバンドに加入出来るチャンスが訪れた時のために、しっかり準備を整えておこう」と心に決め、またそれを励みにして、さらに練習に精を出したよ。すると、しばらくしてウィンターサンがギタリストを探しているというニュースが出て、すぐに「オーディションに興味があります」とメールを書いたんだ。既にウィンターサンはアルバム(『WINTERSUN』)を発表していて、俺もよく聴いていたし、曲に合わせてギター・パートをなぞったりもしていたからね。

アシム:クールだ!

テーム:オーディションには、全部で10人ぐらい来ていたかな? 最後にヤリからすべての曲が入ったCDを手渡され、「これを覚えてきてくれ」と言われた。それはライヴのギター・トラックが入ったCDで、それを弾けるようにするのが、最終オーディションになったのさ。それからは、朝起きて夜寝るまで、一生懸命ひたすら頑張って練習したよ。結局、それでメンバーになることが出来たんだけど、凄くラッキーだったね。あれは’04年12月のことで、俺は当時まだ17歳だった。同年には初めてライヴでも演奏したよ。そして、13年経った今もここにいるというワケさ。

WINTERSUN - Jari Mäenpää