加入が決まった時は感覚が麻痺したようだった(アシム)
YG:アシムが加入した時も、オーディションを受けたのですよね?
アシム:勿論だよ。俺は’05年からずっとウィンターサンのファンだった。ドイツにいる従兄弟が、俺がメタル好きということを知って、「フィンランドのバンドを聴かせてやる」と、エンシフェルムの『IRON』(’03年)とウィンターサンの『WINTERSUN』を送ってくれたんだ。すぐに大ファンになった。特に『WINTERSUN』は「素晴らしい!」と思ったね。そんな頃、ドイツの叔父が、ウィンターサンが初出演する’06年の“Wacken Open Air”フェスティヴァルに連れて行ってくれてさ。フェスティヴァルとか、コンサートといったモノを初めて体験したのがあのイベントだったよ。あの年はスコーピオンズが前夜祭のトリで、他の日にはホワイトスネイクとかフィントロールも出ていたし、とにかくずっと夢見ていたバンドが沢山観られて最高だったね。ウィンターサンは、中日の“True Metal”ステージのオープニング・バンドだったけど、俺は最前列で観ていた。それで、「彼等が出演するフェスティヴァルに自分も出られたら最高だ」とも思ったんだ。あと、ウィンターサンのミート&グリートにも参加したな(笑)。
YG:何と…!
アシム:15〜20分は彼等の前で粘っていたかな?(笑) 普通ならそうはいかないし、実際セキュリティは早く俺をどかせようとしていたけど、メンバーはみんな穏やかで優しくて、「まだいてもイイよ」と言ってくれたんだ。ただその時、連絡先を交換するのを忘れてしまって…。まだ、EメールやSMSぐらいしかコミュニケーション手段がなかった頃だから「あ〜あ、今後も連絡が取れたら良かったのに…」とガッカリしたよ。ところがその後、叔父が北欧旅行の計画を立ててくれてね。「是非、フィンランドも見せてあげたい」と言われて、ちょうどチルドレン・オブ・ボドムにもハマり始めていたから、凄く嬉しかった。もっとも、一番はウィンターサンだったんだけど、何ともラッキーなことに、ヘルシンキのある楽器店に入って、中を見て回っていたら、叔父が慌てて駆け寄ってきて、「おい、あの人を見ろよ! どこかで見たことがあるような…」と言うから、振り返るとそこにテームがいたんだ。「うわ〜、何てことだ!」と、俺はパニックになったよ(笑)。それで声をかけて、テームとギターを弾いたりしたんだけど、2時間は話し込んだかな? そして、一旦店を出た後、「また連絡先を交換し忘れた…!」と、はたと気付いてすぐに店へと戻り、遂に彼のメアドをゲットした俺は、そこからメールのやり取りを始めたのさ。
YG:当時はまだ、パキスタンに住んでいたのですよね?
アシム:うん。でも、フィンランドに移住しようと考え始めるようになっていたよ。音楽の道に進みたい──フィンランドにあるような、自分の好きな音楽がやりたい──ならば、現地に行けばその道を追求することが出来る──と、そう思ったんだ。あの時は、彼等(ウィンターサンのメンバー)に随分と世話になった。留学という形でフィンランド入りしたんだけど、アパートの借り方や交通機関の使い方など、あれこれと教えてくれたからね。そして、テームからギター・レッスンを受けたり、一緒に出かけたりするようにもなったのさ。まぁ、ヤリと一緒にコーヒーを飲んだりするようになるまでには、もうちょっと時間がかかったけど(笑)。
テーム:(笑)
アシム:ただ、当時は単に知り合いだっただけで、バンドと音楽的なつながりはなかった。だから、彼等がギタリストを必要とする日が来るなんて、思ってもみなかったね。それどころか、俺はもう音楽をあきらめようと考えていてさ…。俺はフィンランドで、DAMNATION PLANというバンドのシンガーを務めていて──でも、「長いこと頑張ったけど、どうにもならない。どうしたらイイんだろう?」と思っていたんだ。そんな時、突然“事件”が起こった。昨年の10月、ある朝、フェイスブックのフィードに大ニュースが載ったのさ! 「ヤリがライヴでヴォーカルに専念することになった。ウィンターサンはギタリストを募集している」…ってね。俺は即座にメールを書いたよ。「すっごく興味あるんだけど!」って(笑)。
YG:(笑)
アシム:ただ当時、ヤリは俺のことをギタリストではなく、シンガーだと思っていたんだ。さっき話したDAMNATION PLANのライヴに来てくれたこともあったから、ヴォーカルとして認識していたのさ。それに勿論、ただギターが弾けるというレベルじゃ、ウィンターサンの曲を弾きコナすことなんて出来ない。すると、「2〜3日したら正式にオーディションの告知を出すから、それに応募してきてくれ」と返事があった。そう、俺は決して裏から手を回してメンバーになったワケではなく、ちゃんと一般人としてオーディションを受けたんだよ。そのためには、自分の演奏を撮影する必要があって──あの時もらった猶予は何日間だったかな? 確か、2〜3週間以内に動画を送らなきゃいけなかったよね?
テーム:3週間じゃない? でも、応募者の中で一番早く動画を送ってきてくれたのが彼(アシム)だったんだよ。
アシム:俺自身は、周りに遅れをとっているんじゃないかと思って怖かった…。「早くしないと…」と焦っていたよ。俺には音楽以外にもやらなきゃいけないことがあって──皮革や織物などの装飾品を扱う家族経営の仕事に就いていたからね。そっちをやりつつ、夜になったらギターを手に一生懸命、頑張って練習して──そんな中でも、他にも沢山の人が動画を送って、もう誰かに決まってしまっていて、大喜びしている人がいるんじゃないか…なんて、とにかく気が気じゃなかったよ。すると、ようやく動画を送ることが出来た翌日、ヤリからメールが届いたんだ。俺は事前に、「今度ヘルシンキに行くから、会えたらイイな」と連絡していたから、実際にヤリと会うことになった。例のテームに出くわしたあの楽器店でね。ヤリはそこで、「みんなが君のプレイを認めたから、次のレベルに進もう」と言ってくれて──それでオーディションの第2弾が始まり、テームのオーディションの時と同じように、CDを渡されて、曲を覚えるという段階に入ったのさ。
YG:既に結果が分かっているのに、こうやって話を聞いていると緊張してきますね(笑)。
アシム:そのCDには、「Sons Of Winter And Stars」(『TIME I』収録)が入っていた。その時点で、他にも数名の候補がいたらしい。でも当時、俺はパキスタンに出張しなきゃいけない仕事を抱えていたから、オーディションの日程を決めるのが大変でね…。しかも、どうやらかなり急がなきゃいけない事態になりそうだった。「テーム、少し日にちを早めてくれないか?」「この曲はとても難しいから、時間がかかると思う」「そうだな」「他の人もいるから、この日程でやってくれ」「いや、12月9日はどうかな? 4日でも大丈夫だよ」「そんなに急がなくてイイから」…と、そんなやり取りが続いたよ。そうして、何とかオーディションを終えたものの、その翌日、俺は仕事でドイツにいたんだ。すると、バンドから連絡があって、「Skypeでミーティングをしよう」と言われた。12月9日の午前10〜11時頃だったと思う。そして、みんなと話していたら、急に彼等がフィンランド語で何か話し始めて、「君が入ることになったよ」と…。テームもユッカも、同じことを言ってくれたんだけど、もう何が起こっているのか分からなくてさ。回線を切ってから、ようやく実感が湧いてきた…。「何てこった! 加入しちゃったよ…!!」とね。
テーム:(笑)
アシム:それからしばらくして、彼等に「どうもありがとう! ホントにヤバいよ…!」とメールを送った。それでも、まだ実感がなかったよ。感覚が麻痺したようで…。今は──すべてが素晴らしい。息つく暇もないぐらいにエキサイティングなアイデアが次々と出てきて、起こっているすべてのことを吸収するだけでも大変だけど、とにかく最高なんだ。夢が叶いまくっている。こうして日本に来られたのもウィンターサンのおかげだね!