イタリアよりネオ・クラシカル様式美HR/HMの新星が登場! ウリ・ジョン・ロートやヴィニー・ムーア、キー・マルセロなど、多くの著名ギタリストと共演を重ねてきたというルカ・ポーマ率いるムーン・レヴェリーである。セルフ・タイトルのデビュー・アルバム『MOON REVERIE』には、イングヴェイ・マルムスティーンを敬愛してやまないルカによる、入魂のネオ・クラシカル・プレイが満載!
今回、そのルカから本誌に向けて逆オファーがあり、初インタビューが実現! 「絶対に妥協しないタイプ」と自らを分析する彼のバックグラウンドに迫ってみた…!!
「ヒーロー達のように弾けるようになってやる」という明確な意志があった
YG:まずはあなたのルーツから質問させてください。初めての音楽経験は? 子供の頃はどんな音楽を聴いていましたか?
ルカ・ポーマ(以下LP):俺はまだ幼い頃から、ロックやメタルに触れてきたんだ。ウチの兄と姉が、スコーピオンズやディープ・パープル、レインボーなどに加えて、’80年代のHR/HMの大ファンだったから、そういったバンドを聴きながら育ってきたのさ。特に魅了されたのは、(スコーピオンズの)『IN TRANCE』(1975年)や『TOKYO TAPES』(1978年)、(ディープ・パープルの)『MACHINE HEAD』(1972年)や『MADE IN JAPAN(LIVE IN JAPAN)』(1972年)なんかだね。それこそ、レコードが擦り切れるまで聴きまくっていたから、今の俺の曲作りの源泉は、そこにあると断言出来る。
ギター・プレイの原点も、ウリ・ジョン・ロートやリッチー・ブラックモアにあって、人生の早い段階から、ロック・ミュージシャン、そしてギタリストを目指してきたよ。しかも、巨匠達の楽曲を聴きまくっていたら、そのルーツにクラシックがあると気付いてね。それで俺は、あっという間にクラシック──殊にバロック音楽と恋に落ち、そこからロックとクラシックの融合を思い付いたのさ。
YG:ギターを始めた年齢とキッカケは? あなたは鍵盤も弾けるようですが、ギターとキーボードではどちらが先でしたか?
LP:ギターを始めたのは15歳の時だった。キーボードについては、“弾ける”というほどではないよ。作曲の際、ギター以外のインスト・パートを構築するために使う程度だからね。ガッツリ練習することもない。ただ、思い浮かんだ音楽を表現するために、必要に駆られて弾いているだけさ。確かに、(ムーン・レヴェリーの)アルバムではあちこちでキーボードやピアノをちょこちょこ弾いてはいるよ。日本盤ボーナス・トラックの「Into Darkness」なんかでね。時には視点を変え、(ギターとは)また別の楽器からインスピレーションを受けることもある。でも、俺のメイン楽器はいつだってギターなんだ。
YG:先ほど、ウリとリッチーの名前が出ましたが、他にもギター・ヒーローとして憧れている存在はいますか?
LP:ギタリストを志した時から、俺のヒーローはずっと変わっていない。ジミ・ヘンドリックス、ウリ・ジョン・ロート、リッチー・ブラックモア、イングヴェイ・マルムスティーン、エディ・ヴァン・ヘイレン、マイケル・シェンカー、そしてブライアン・メイだ。
YG:ギターを始めるに当たって、レッスンは受けましたか? それとも独学でしたか?
LP:最初から俺には、どんなに辛くても、「絶対にヒーロー達のように弾けるようになってやる」という、明確な強い意志があった。でも、誰の助けも請わなかったよ。だって、ロック・ギターの偉大なる父である世界のベスト・プレイヤーは、ジミもウリもリッチーもイングヴェイも、レッスンなんて全く受けていないだろ? もし受けたとしても、ほんの基礎的なことだけだったろう。それなら、俺も同じように会得していく…と決意したのさ。
ただ、近道なんてないし、楽な道もない。そこで俺は、レッスンを受けたり、マエストロと呼べる先生を探したりする代わりに、ヒーロー達のCDやLP、カセット・テープを注意深く聴き、リフやソロを出来得る限りコピーしてプレイすることから始めたのさ。文字通り、レコードもカセットも擦り切れるまで何度も何度も聴き込んだよ。そして、自分のプレイをテープに録り、(元のプレイと)聴き比べてみたんだ。そうすれば、自分とヒーロー達のプレイがどう違っているのかを理解することが出来る。実際、巨匠達の技術に追いつくための本当に良い練習になったよ。
俺は聴くことで要点を見つけ出すのが得意なんだ。教則本や楽譜に頼るより、実際に聴く方がずっと手っ取り早いし、得るモノも多い。当時はまだYouTubeなんてなかったし、そもそも俺はパソコンすら持ってなかったしね。だから、大好きなギタリストのライヴに何度も通い、難しいパートをどうやって弾いているのか、繰り返しビデオを観返したりもしていたのさ。あとは、友人達とのジャム。何時間も好きな曲をプレイしたり、即興で弾いたり…といったことが、俺のミュージシャンシップを育み、他のメンバーとの掛け合いを学ぶ上で、大いに助けになったのは間違いないね。
YG:初めてバンドを組んだのは何歳の時でしたか?
LP:17歳だったよ。ディープ・パープル、ヨーロッパ、レインボー、(イングヴェイ・)マルムスティーン、(ジミ・)ヘンドリックス、スコーピオンズのカヴァーをプレイしていたんだ。
YG:ムーン・レヴェリーの前にVIOLET ECLIPSEというバンドをやっていたそうですね? これもカヴァー・バンドでしたか?
LP:そうとも言えるし、そうじゃないとも言える。VIOLET ECLIPSEは、自分の曲をプレイするプロジェクトとして始めたんだが、それらを正しくプレイ出来るメンバーが見つからなくてね。それで、何度も何度もメンバー・チェンジを繰り返したよ。でも、とにかくライヴがやりたかったから、俺の曲の代わりにカヴァーをプレイすることにした。その方が、俺の曲を俺の思う通り完璧に弾いてもらうよりも簡単だったから。何度か俺の曲を試したこともあるけど、とにかく悲惨だったな…。
よくカヴァーしていたのは、ディープ・パープルとレインボーとヘンドリックスだ。でもある時を境に、イングヴェイだけに絞ったんだ。というのも、当時は彼の曲だけをやるバンドは珍しかったからさ。その後、幸運なことに素晴らしいミュージシャン達と巡り合い、VIOLET ECLIPSEには終止符を打つことにした。そして、いよいよムーン・レヴェリーとして、自分自身の音楽のみを演奏することが出来るようになったのさ。